かつて


私は


夫から


「MOEは厳しい人だ」



言われたことがありました。


それは

 

私の元へ来られていた


クライアントさんに対して


【自分を観ること】を


強く伝えていたから、です。



辛いから


私の元へ


来られていたのです。


悩んでいるから


私の元へ


来られていたのです。


苦しいから


私の元へ


来られていたのです。




私は


自分自身が


幼いときから


ずっと


生きづらさを感じて


生きてきて


また


同時に


【自分とは何か】


【生まれてきた目的】


【生きている意味】の答えを


ずっと探していました。



私が


ヒーラーとして


日々を過ごしていた時、


私自身は


【自分を観ること】から


目を逸らしても


何の解決にもならないことを


実感していたからこそ、


クライアントさんにも


同じように接していたのでした。







そして


コロナウイルスが流行り


私の元へ


クライアントさんは


来られなくなりました。



有り余るほどの時間


私は


孤独でした。





その時に


私は


私自身を


さらに観ることを


余儀なくされていましたが、


内側から


溢れ出てくる苦しみに


飲み込まれ


さらなる苦しみの中に


突き落とされていきました。




それは


私自身が


ヒーラーとして


過ごしていた時に


まだまだ


【自分を観ること】が浅く


上辺だけの理解でしかなく


未熟だった証でもありました。



その苦しみは


自死さえしかねないほどの


強烈なエネルギーで


これほどまでに


“自分を知る”とは


苦しく辛く孤独なものなのか、と


先の見えない闇の中を


手探りで這いずりながら


前へと進むような...


いえ


前へ進んでいるのか


後へ後退しているのか


はてさて


ただただ


同じ所をぐるぐる回っているのかさえ


全く分からなかった当時でした。






その苦しみの中で


【自分自身を観る】ことができたのは


苦しみから解放されたい...


ただ


その想い1つだったんです。





その時に


夫から


言われたんです。




「MOEから


 クライアントさんが


 離れていって


 良かったね。」と。






クライアントさん方は


単に


コロナウイルスだけが理由で


離れていったわけでは


ありませんでした。




苦しかったクライアントさん


もしくは


彷徨い模索するクライアントさんは


また別のヒーラーの元へと


去って行ったんです。





思えば


夫の言うとおりです。





あれだけの


徹底した孤独と苦しみがあったお陰で


私は


【死ぬ気になって】


自分自身と向き合えたのですから。




「厳しい」と


私は


夫から言われました。



それは


我が家に在る


私を似せて創って貰った


白龍の顔にも


よく現れています。




ところが...


つい先日


沖縄から


若いサンタクロース夫婦が


我が家にいらした時に


奥様は




こちらの青龍を


【MOE】だと思った、と


言われました。






【自分自身を追究する】ことを

積み重ねゆく日々が

こんなにも表情を変えていくことを

教えてくれる一言でした。



確かに

私は

自分自身に対して

厳しかったです。

自分自身に対して厳しいから

他者に対しても

厳しさを求めました。

しかし...

自分自身を追究し続けていく中で

大切なことに

気付くのです。

「上江洲先生の言われたことは

 本当だった」と。








自分に厳しく

他者に優しく






ただ...

この言葉は

非常に

誤解を生みやすいです。



【他者に優しく】を

解釈を間違えば

他者に対する

甘やかしになりかねません。




私は

目の前に

悲しみ苦しむ人がいたとして

「今のあなたのままでいいよ」とは

言えません。

一刻でも速く

その苦しみから抜け出して

笑えるあなたであって欲しい、と

想うからです。



悲しみ苦しむ人がいるならば、

「今こそ

 自分自身から逃げずに

 自分と向き合い

 どんな考え方のクセや思い込みが

 自分自身を苦しめているのか

 観てみよう」と

ハッキリ言います。



周りの誰かや

周りの何かが

悲しみ苦しむ原因ではなく

自分自身の誤った想い方のクセが

根本原因であり、

原因が分かれば

改善することができて

前進することができるから、です。


ただ

これも

見極めが必要でした。

その人に

【自分自身を観ること】の

心の準備ができていないにも関わらず

やみくもに

【自分を観ること】

【自分を知ること】を伝えても

驚怖でしかありません。

ただ

私は

その驚怖以上に

自分自身の内側から湧き出てくる

苦しみが余りにも強かったから

自分自身と向き合わざるを

得なかったのです。


私のこの言葉「自分と向き合うこと」に

私から離れていく人もいました。

離れていく人もいましたが、

私は

それもまたその方の自由意志として

尊重し

こう思います。



“ただ幸せで在るように”と。






小さいときから

私は

私に

【厳しい部分】が

ありました。



それは

納得いくまで

追究すること、でした。



だからこそ


私は

自分の言葉として

文字を綴ることができるのです。




そして

体験してきて

実際に感じてきたからこそ

ただ単に

頭で考えて創り出す文字では

到底伝えることができない想いが

届く人には

ちゃんと届いていく...

私は

それを

確信しています。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE