ぎっくり腰...


なった人は


分かります。


それが


どんなものであるのか、を。



私が


初めて


ぎっくり腰をしたのは


中2のとき。


当時は


酒屋さんが


ビールをケースで


宅配しれくれる


そんな時代でした。


我が家に来た


玄関先にあった


ビールケースを


台所まで


一気に持って行こうとした


その瞬間...


腰が


何か大きな音を立てた感覚が


ハッキリしました。


それは


強烈な痛みを伴いました。


それが



思い返すと


初めてのぎっくり腰でした。


物理的なぎっくり腰。



ぎっくり腰が教えてくれること






治るという意味の解釈



今回


私が


体験したぎっくり腰は


私が


畑作業や台所作業で


長時間の立ち仕事による


姿勢不良だったことは


分かっていたのです。


分かっていても


“楽”だったから


同じ姿勢を取り続けた結果


一部の筋肉に


過重な負担がかかって


そして


一気に腰に痛みがやって来たのです。



整体師である


夫の元には


数え切れないくらい


腰痛の方が


これまで


来られています。


そして


「1回で治りますか」と


訊く人も


少なくなかったと言います。



【治る】を


どう解釈するのか。



ネット上には


整体師による


過剰な効果を謳った情報が


溢れている、と


夫は


言いました。




腰痛を


例えば


腕に切り傷があるとして


切り傷は


日にちを要して


治っていきます。


一方で


腕をつねって痛みがあるとき


手によるつまむ状態から


解放されたら


瞬間に


痛みは治ります。




腰痛も


“痛み”という症状は


現れ方としては


同じように見えたとしても


その背景は


人それぞれに


違います。


私が


人生初のぎっくり腰体験は


物理的な原因ですが、


今回は


慢性的な筋肉疲労でした。


そして


ぎっくり腰をした当日


私は


2人がかりで抱えられ


担がれて


施術部屋に運ばれましたが、


施術後は


何とか独りで歩けるようになっていた....


私からしたら


これだけでも


大きな奇跡です。




そして


寝たきり状態だったとしても


寝たままできるストレッチや


マッサージなど


自分自身でもケアをすることも


施術を受けることと同じくらい


大切であり、


また


必要であると


思います。



“治る”


痛みが全くなく


本来の状態を意図して


夫の元へ来られるならば...


これは


私の推測ですが


不信や怒りや悲しみが


湧き出てくるかもしれません。




しかし


ぎっくり腰で


全く歩くことができない状態から


何とか自力で歩けるようになるならば、


私は


そこには感謝しかない、と


感じました。



さらに言うならば


ぎっくり腰になるのは


必要があって


症状として表れているのです。


何も無くて


症状が出てくるはずはありません。



そもそも


この完全な世界で


不必要なことは


絶対に


起こりません。


愛の法則・慈悲の法則の元に


生かされているならば


起こる出来事全ては


“学び、成長”するために起こる


神様からの素晴らしい贈り物。



私は



そのように理解しているので


身体の痛みがあっても


心の内側には


幸せで溢れています。


また


この体験によって


何に気付いていけるのか...


そう思いながら


この瞬間瞬間を


生きている今に


感謝しています。



そしたら


“治る”とか“治りたい”とか


思っていませんでした。







その時


とても穏やかな時間が


静かに流れていたのです。





熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE