【食は人の天なり】
美しい言葉だ、と
初めて聴いた時に
そう感じました。
この連休
雨続きの熊本で
畑仕事ができなかったため、
DVDを借りて
家族皆で観てみました。
”みをつくし料理帖“
https://www.miotsukushi-movie.jp/sp/index.html
【食は人の天なり】
この【天】を
【愛】に置き換えて読んでみました。
【食は人の愛なり】
食べ物は
単に
空腹を満たすための
物質ではない、と
私は
ずいぶん前から
感じていました。
それは
もうすぐ8歳になる
娘を妊娠中に食べた
酵素玄米を出して下さる方の
料理を
初めて食べた時
一口食べたら
身体全体に
エネルギーが
駆け巡る感覚を
生まれて初めて
体験したからです。
その後も
食べ物には
不思議ですが
エネルギーがあるものと
エネルギーがないものとがある、と
感じる機会が
何度もあったのです。
このエネルギーも
【愛】と置き換えて
良いように思います。
私は
中国の方から
数え切れないくらいに
料理をご馳走になりました。
その料理を
口にする度に
幸せなのです。
幸せを
【愛】と置き換えても
間違いないと思います。
そして
【食】とは
単に
物質的な食べ物を
口の中に入れ込む行為ではなく
自分自身の中に
想いや
意識を
受け入れる象徴的な行いで在る、と
解釈するようになりました。
【食は人の天なり】とは
人の愛という想いを
受け入れて生きていく...
そういう意味だと
私は
感じたのです。
だから
【食は人の天なり】
という言葉が
とても
美しく
素晴らしく
キレイに
見えたのだと
思うのです。
お店に並ぶ野菜が
単なる
野菜ではないことも
私は
畑に在る野菜から
教えて貰いました。
野菜は
命そのもので、
命とは
【愛】在ってこそ
存在できるのです。
だから
愛の法則・慈悲の法則から
ズレた生き方をすると
苦しかったり
悲しかったり
悩んだりしていたのです。
この世界には
苦しい、も
悲しい、も
辛い、も
無かったのです。
この世界には
全てが
素晴らしいもので
充ち満ちていました。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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