【キラキラスピリチュアル】
これは
私の大切な朋友が
話してくれたキーワード。
一体何を
意味しているのでしょうか。
かつて
スピリチュアルというものが
魅力的だと
感じていた頃。
“ スピリチュアル”
という言葉の
本来の意味をはき違えていた頃。
引き寄せの法則を
必死になって
やっていた頃。
私の元に来ていた
数多くのクライアントさんも
よく口にしていました。
「自分が
元気があるときは
スピリチュアルは良いけど
凹んだときに
スピリチュアル記事は
もっと元気を削がれるから
読めません」と。
確かに
人生がどん底だと感じていた頃
“龍が見える~♡”とか
“滝に行って浄化~♡”とか
“光のシャワー♡”とか
そんな写真や表現は
読めませんでした。
特に
「悪いことや嫌なことは
想っちゃダメだからね。
想ったら
引き寄せの法則で
現実化するからNGよ♡」と
幸せそうな方々が
表現していたものは
特に
読めなかったのです。
自分が
苦しく暗く重たかったから
キラキラスピリチュアルは
眩しすぎて
軽すぎて
どうしても
近づけなかったあの時。
今でも
朋友の話していた
【キラキラスピリチュアル】は
目にはしませんが、
(読みませんが)
キラキラスピリチュアルは
私に教えてくれました。
私も
キラキラスピリチュアルを
やってきた人間だったから...。
本当に
どん底にいるときに
キラキラスピリチュアルでは
どん底にいる人を
救えないのです。
キラキラスピリチュアルは
ある程度
元気な人にしか
対応できません。
言い換えるならば
本気になって
自分自身と
向き合おうとする
前段階の人にしか
通用しないものかもしれません。
人生どん底にある人に対して
キラキラスピリチュアルにいる人は
何ができるのでしょうか。
私には
キラキラスピリチュアルは
何の役にも立ちませんでした。
だから
必死になって
死ぬ気で
(実際に何度も自死しようとしてました)
想いを正し
言葉を正し
行いを正し
真剣に
明想するしか
もう
道は残されていなかったのです。
それはそれは
厳しい道でした。
それはそれは
厳しい道です。
しかし
真実の道でもありました。
人は
ここまで変われることに
私自身が
驚くほどです。
【弟子の準備ができたとき師が現れる】
この言葉通りに
苦しみのどん底にいたからこそ
本気になって
自分自身と向き合い始めたからこそ
ホンモノの師と出逢えました。
時代を超えて
素晴らしい師と出逢えました。
スリ・ユクテスワ
ヨガナンダ
マクドナルド・ベイン
リバイ・ドーリング
そして
上江洲義秀 先生。
本が
単なる本ではなくて
文字が
息をしているくらいに
エネルギーを感じ
私の中に
染み入るのです。
しかし
それは
どん底にあるときには
全く
何を表現しているのか
理解できないものでした。
日本語で
表記されていても
内容が
全く分からなかったのです。
理解できるまで
約2年かかりました。
だからこそ
言えることは
“ホンモノはホンモノにしか分からない”
ということ。
“ニセモノにニセモノがくっ付く”
ということ。
そして
どんな体験も
必要として起こり
そこには
大切な学びがある、と
感謝して
目の前のことに
真正面から
取り組むとき
【キラキラスピリチュアル】は
無くなっていく。。。
役割を果たして
キラキラスピリチュアルが姿を消し、
ホンモノの生き方・在り方が
姿を現すように感じます。
しかし
それは
キラキラスピリチュアルを
否定するものではなく
プロセスとして
学ぶために
存在していたんだ、と
今の私は
解釈しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE