1年
畑で野菜を育て
たくさんの失敗をして
気付いたことが在ります。
種を撒いて
根付くまでは
水遣りや
その他
様々な配慮が
特に
必要になります。
何も知らなかった私は、
夏野菜を育てるにあたって
毎日毎日
水遣りをしていました。
時々は
肥料もあたえました。
水遣りをし過ぎた結果、
トマトは腐ってしまいました。
知らぬ間に
病気になっていました。
後から
知りました。
水遣りを毎日毎日していたら
根っこは
水を求めて
地深く根付かずに
地表面浅くにしか
根を張らないことを。
地表面浅くにしか
根を張らない野菜は
風や暑さにとても弱く
とにかく
毎日毎日
水を必要としていました。
根っこが
余りにも
浅すぎました。
同じ事が
生き方や在り方にも
言えると思いました。
何か問題や苦難と感じることが
我が身に起こった時
生きる根っこが
浅い人は
すぐに
【自分自身の内側を観ること】から逃げて
誰かや何かのせいにして
非難批判.不平不満・愚痴を口にし、
さらには
自分自身を正当化し、
放った言葉によって
さらに
自分自身を苦しめていくにも関わらず
それに気付けず
悲しみや苦しみの波に飲み込まれること。
頭には
情報としての生き方や在り方が
インプットされていても
【自分自身を観ること】をしないから
生かされることも在りません。
そして、
波長の合う仲間に会い
または
SNSで繋がり
また
言葉や文字によって
同じ事を表現したりします...。
畑の
野菜や花は
教えてくれました。
夏の35℃超えの状況下でも
冬の-5℃を下る状況下でも
静かにひたすら耐えて
その時にこそ
生きる力や在り方が
育まれていき、
その姿こそが
観る人に
多大な影響を与えていくことを。
生きるか死ぬかの心境下、
私は
もう誰にも何にも頼りようが無かった時
ひたすらひたすらに
独りを感じていました。
それは
暗く、重たく、冷たく、痛く
息ができないくらいの心境でした。
そして
そんな状況下から
脱するには
どうしても
【自分自身を知ること】しか
もう方法は残されてはいませんでした。
やがて
私は
気付きました。
私は
私自身が
気付かぬ間に創り上げてしまっていた
想い方のクセや
観念概念や悪習が
私を苦しめていたことを。
逃げていたのは
その
想い方のクセや
観念概念や悪習を
“自分だ”と
勘違いし、
本当の自分を知らなかったからでした。
生きるか死ぬかの心境下だったとき
私は
自分自身では
気付けなかったけど、
実は
その時に
生きる根っこが
地の奥深くにまで
根を張っていたのです。
だから
風が吹いても
暑くても
影響されることなく
立っていられます。
誰かに何を言われても
何かが起こっても、
私は
私自身を振り返るきっかけを
戴いたのであって
それにより
さらに
自分自身を磨いていけます。
そうなった時
怖れになること
不安になることが
どこにあるのでしょうか。
全ては
感謝しか在りません。
人が離れて
独りになったとしても、
独りだからこそ
より自分自身と
静かに向き合えるチャンスが
与えられた
素晴らしい贈り物です。
また
新たに出逢う人は
素晴らしい人ばかりでしょう。
生き方や在り方が変われば
変わった自分自身には
また
新しい学びのステージが
現れることを
今の私は
それを幸せだと
解釈しています。




