4月下旬となり


子ども達の授業参観で


学校へ行く機会が


増えています。


しかも


小中高のすべてなので


全く


色合いが異なる授業を


見ることができるのです。







かつて


教師をしていたときに


「上手な授業がしたい」と


切望していました.


だから


休みの日には


自己研修で


様々なスキルアップを図り


授業へと


還元しようとして


努力していました。



が、


シックリこなかったのです。






昨日


小2の娘の算数の授業の様子を見て


「この内容でよく45分も座っているな」と


尊敬しました、心から。







授業参観の前に


私は


ふと


思ったのです。



「授業って何だろう」と。



私は


授業の意味も知らずに


「上手な授業がしたい」と


思っていたことに気付きました。





授業って何だろう...。





授とは


授ける、授かる、ですが


深く読み取ると


授とは、


心身に受け入れるという意味合いに


なるようです。


だから


「赤ちゃんを授かる」は


お母さんの身体の中に


新しい命が


宿る(一体となる)となります。





さらに


業とは


ゴウ、ギョウと


読みますが、


ゴウならば


仏教用語で


カルマなどの意味になり、


ギョウならば


ワザの意味の他に


行いの意味にもなります。


つまりは


身口意


(仏教用語では


 想い、言葉、行い)。






授業とは


想いの在り方


言葉の在り方


行いの在り方を


美しく素晴らしく正しくあるように


自らの心身に受け入れ生きること。






なるほど。




納得しました。




だから


私には


授業ができなかったのです。


だから


私は


シックリこなかったのです。


あれだけの月日を過ごしながら


納得いく授業ができたのは


たったの1回...


わずか


1回でした。


しかし


その授業は


授業参観に来られていた


保護者方が


涙を流され、


子ども達と共に


これまで生きてきた10年を


振り返るくらいに


生き方、在り方、命について


深く深く感じ入る授業参観でも


あったのでした。


それは


わずか


5人のクラス児童だったからこそ


成し得た授業かもしれません。



特別支援学校だからこその


授業参観だったからかもしれません。





授業とは


学校のみでなされるものでなく、



ここにある全てが


授業...


学びの場である、と


私は


今更ながらに


気付かせて貰いました。





熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE