さあ
思う存分に
息ができる♡
そう思いました。
【個人の判断に委ねます】
3/13~
マスク着用について
個人の判断に委ねます、と
なったとき...
誰もが
外している...
そう思っていました。
なぜならば
私自身が
友人宅に
ホームステイした時に
アメリカ人のご主人と
様々な会話をした時
「アメリカでは
マスク付けていたら
病人かと思われて
逆に
人が離れていくよ」と
聞いていたし、
それ以前からも
屋内公共の場以外は
マスクを付けていなかったから。
卒業式では
マスクを付けずに
式を行うことを
実施した学校が...
なぜ
入学式では
マスク着用を
勧めてくるのか...
もはや
私には
理解不能です。
さらに
【個人の判断に委ねます】との
この言葉も...
周りの人の様子を見ながら
自分自身の動きを決める
この国の特徴からしたら
大きな宿題が
国から
一人一人に
与えられたようにも
思います。
なぜ
マスクを付けるのか、
何を
怖れているのか、
何から
守りたいのか、
なぜ
自分自身はそう思うのか、
なぜ
今
このような行いを自分自身はするのか、
なぜ なぜ なぜ なぜ なぜ を
自分自身に問うていくことを
放棄してしまったら
人は誰かの“奴隷”になる...。
驚怖は
いとも簡単に
人を操作できる心的エネルギーで、
驚怖が生まれるカラクリを
知らない限り
コロナウイルスに限らず
地震や
台風や
人間関係や
その他
外界の様々に姿を変える事象に
振り回されていくのでしょう。
コロナウイルスは
私の心の内側を
見事に
全てを
見せてくれた
素晴らしい現象でした。
もしも
コロナウイルスが無かったら
私は
生と死の狭間の
ギリギリの状況下
ここまで
私自身の内側と
向き合うことは
できなかったのですから。
マスクを付けるのか
マスクを付けないのか
選択は
どちらかしかありません。
同じように
生き方も
【自分自身を知ること】を
追究するか
【自分自身を知ること】から
目を逸らすのか
選択は
どちらかしかありません。
個人の判断に委ねます。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE