幸せなようなものと


幸せとは


似ているようで


全く違うもの。




私は


幸せなようなもの を


求め続け


ずっと彷徨っていました。





幸せなようなものを


幸せと勘違いしていたから...。





困った方が


目の前にいました。





車が傷つき


どうしても


警察に連絡が


必要となりました。




困った方が


目の前にいるのです。




日本語が


通じない方でした。





警察とのやりとりは


非常に


困難に思われました。





以前の私ならば


気持ち的に


逃げていました。




「私には関係ないよ」と。




でも...


目の前にいる方は


【私】なのです。





私は


警察と


目の前にいる方との


橋渡しをしました。





言葉は


慎重に


使わなければ


なりません。


自分の思い込み


自分の感情は


一切


捨て去らねば


なりません。


事実のみを


どれだけ


正確に


伝えられるのか...。



私は


目の前に現れた出来事を


必然として起こったことだと


解釈して


向き合いました。


その後の


保険屋さんとの連絡も


全てやり終えました。




その時に


教えて貰ったのです。






この身体を


必要な方のために


その時々に


使えることこそ


幸せであることを。




この一連の出来事は


私と


その方との関係性を強めました。



国を超えて


大切な何かが


生まれていました。




幸せなようなもの...


例えば


学歴


年収


肩書き


家柄


住む場所


乗っている車...




それらを


否定はしませんが、


それらは


本当の幸せでは


ありませんでした。






本当の幸せとは


【自分自身を知ることを追究できること】


そして


追究する過程に於いて


起こる様々な出来事が


神様からの贈り物だと


実感し、


感謝しながら


この一瞬一瞬を


過ごせることだと



私は


感じています。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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