「何もできなくてごめんね。」


96歳のおばは


何度も私に言いました。


コロナ禍で逢えなかった


おばは


その間に


身体が衰えていましたが、


おばから


放たれる言葉は


「ありがとう」


「最高」


「素晴らしい」


「美味しい」


そんな風に


感謝に満たされた


言葉でした。







私は


3度の食事を


作りましたが、


私は


おばに


私ができる全てを


したかったのです。





3度の食事の度に


「何もできなくてごめんね」


そう言われました。




私は


「私が


 おばちゃんに


 作りたいの。


 全部食べてくれて


 ありがとう。」


そう言いました。








「何もできなくてごめんね。」







思い出しました。





私が


人生どん底だと感じていた頃、


食事も作れない、


洗濯もできない、


掃除もできない


子どもの世話もできない、




できない


できない


できない...







私は


夫に


謝りました。





「何もできなくてごめんね」と。





その時に


夫は


「できる人が


 できることを


 やったらいいんだよ。」





そう言いました。








月日が流れて


夫と話すとき


「できる人が


 できることを


 やる社会は


 誰も責めず


 誰も卑屈にもならず


 そんな社会が


 本当の社会だ。」と


話します。






96歳のおばが


私に


教えてくれたこと...





年を老いゆく中で


その姿こそが


子ども達や


私に


【生きる意味】を


深く感じさせてくれました。




優しさとは何か


障がいとは何か


年を取るとは何か


人が在るとは何か...







「何もできなくてごめんね」



いいえ


あなたが居るからこそ


私は


人の優しさを学びました。


命の美しさを感じました。


あなたから放たれる


言葉の全ては


“あなたそのものの輝き”に


満ち満たされて


その言葉を聴くだけで


私は


幸せでした。





また


必ず


逢いましょう。





熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE