玄関に
身体の不自由な方が
入ってこられました。
広いスペースの玄関には
何人もの人が居ました。
身体の不自由な方は
サポートを必要としているのを
私は
すぐに感じました。
身体が
動こうとした
その瞬間に
私の内側から
待て!
そう言われました。
私は
その声に
従いました。
玄関の様子を
ずっと見ていたら
何人もの方々が
身体の不自由な方に
声かけをしているのを
見たのです。
その時に
思いました。
人は皆優しさを表現したいんだな、と。
私は
いつも
身体の不自由な方や
何か困っている方を見かけたら
頭で考えるより先に
身体が動いていたのです。
もしかしたら
私の他に
サポートをしたい方が
いたかもしれません。
もしかしたら
私は
サポートしたい方のチャンスを
奪っていたかもしれません。
人は皆優しさを表現したい
しかし
表現できない人が
表現できる人を見て
非難批判したり、
逆に
自己否定したり、
そんな風な
考え方になってしまうなら...
【優しさを表現したい】って
一体
何を目的として
その行いをしようと思ったのか、を
自分自身の内側を
振り返ってみる必要が
あるのかもしれません。
誰かから
賞賛されたい
承認欲求からの行為なのか、
それとも
もっと別の所に
目的があったのか...
【人は皆優しさを表現したい】
本来
人は
見返りを求めること無く
他者に対して
優しさを与えることが
自然にできるのだと
私は
そう思っています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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