初めて
妊娠したとき
喜びと同時に
お腹が大きくなるにつれて
「私のような者が母親になってよいのか」
そう思いました。
妊娠するまでに
自分自身の人生に於いて
“何も知らなかった”とはいえ
様々な罪を犯した私が
母親になってよいのか、と
私は夫に胸の内を伝えました。
夫は
ハッキリこう言いました。
「人は誰しも
生きてきた過程に於いて
罪を犯してしまっている。
だけど
罪を背負って生きていくという
考え方を止めて
赤ちゃんの幸せと
自分自身の幸せのために
今を
生きよう」
そう言ってくれたのです。
過去の記憶を
あまり覚えていない私が
この時の
夫の言葉ほど
身に染み入った
言葉はありませんでした。
知らないから
やってしまっていたんです。
【本当の自分を知らないから】
やってしまっていたんです。
誰かを嫌ったり
恨んだり、
不平不満・愚痴を言ったり、
非難批判したり、
泣き言言ったり、
過去を後悔したり、
未来を不安に感じたり、
自分自身を無価値と思ったり、
自分自身の考えが絶対的と思って
周りを顧みず
突っ走ったり、と
【本当の自分を知らないから
罪を重ねてきてしまっていたのです】。
仕方なかったんです、
知らなかったから...。
そして
そんな体験をして
【罪の想いが
自分自身の内側から
湧き出てきた時から
自分自身のことを
本気になって
改善していこう】と
人は決意し、
決意が
人の意識を変えて
実践に繫がっていくことを
私は
学びました。
一方で
自分自身の罪を見ながらも
見て見ぬふりをして
同じことを
繰り返す道を
歩む人も居ます。
頭では分かるのです。
【自分自身を改善していくことでしか
道が拓けないことを】。
だけど
自分自身が変わるのが
怖いから、
それまで通りの生き方の方が
慣れていて楽だから、
相も変わらぬ
思いのクセや悪習からの想いを持ち、
そのような言葉を放ち
そのような行いを重ねていき...
自分自身を
見て見ぬふりをしていくことが
やがては
にっちもさっちもいかなくなるくらいの
心の苦しさへと発展し
半ば強制的に
【自分自身と真正面から
向き合わざるを得ない状況下に
追い込まれる】のでした。
だけど...
そんな状況下こそが
私自身を観るという
神様から与えられた
素晴らしい時間であり
素晴らしい出来事であり、
自分自身の想いが改善され、
自分自身の言葉が改善され、
自分自身の行いが改善され...
気付くと
自分自身の生きづらさの原因が
自分自身が勝手に創り上げた
想いのクセや悪習からの想いクセだと
ハッキリしたのです。
そして
ハッキリ浮き彫りになった
想いのクセや悪習からの想いクセは
消えていき、
本来の美しくて素晴らしい想いが
姿を現したときから
【罪だと思っていた事さえ
今の幸せに至るための
必要不可欠なエネルギー】
だと
感じたのでした。
罪は
それまでの生き方と
決別しようとし始めたときに
初めて
自分自身の内側から現れる
新しい流れである、と
今の私は
解釈しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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