私は
ずっと
気付きませんでした。
気付けませんでした。
私の人生を握っていたものの存在を。
私の人生の主導権を有していたものの存在を。
生まれてきてから
ずっと
私は
「この世界は
なぜ
こんなにも
生きづらいんだろう」と
感じていました。
小さいときから
数え切れないほどの
引っ越しをしてきたことも
“ふるさと”を創れず
根なし草のような
そんな感覚で、
「何のため生まれてきたのか」
「なぜ生きているのか」
「私とは何か」
という疑問の答えを知りたい....
そんな想いを
もっと強くしていきました。
様々な感情の中でも
“悲しみ”という
感情ほど
根深く
人間の心の
奥深くまで根を張り、
“怒り”のような
爆発的なエネルギーによって
自分自身や周りの人にも
明らかに
分かるような【感情表現】
ではないものの...
永く
静かだけれども
確実に
私の思考も感情全てをも
握っていたものでした。
「どうせ私なんて...」
そんな考えも
よくよく観ていくと
“悲しみ”が在り、
「友達なんて最初から創らないから」
それは
親しくなった人が
いつかは
離れ行く別れの“悲しみ”を感じたくない
防御心からだし、
トゲある言葉を放つのも
これ以上“悲しむ”ことに
耐えられないから
自分自身を防御するために
必死になって
放たれたもの.....
ヒロイズムの思考の在り方も
気付けなかったけど
“悲しみ”を中心にしたシナリオだった、と
ある瞬間に
気付いたときから
今生だけじゃなくて、
生まれ変わりするなかで
何度も何度も何度も
同じことを繰り返してきたんだな、と
そう感じました。
そして
何度も何度も何度もの繰り返しが
自分自身の想いのクセや悪習を
改善していくどころか
逆に
想いのクセや悪習を
強化していっていたんだな、と
思ったのです。
なぜならば
個我であった私は
【本当の私】を追究することもなく、
【個我の私】は
【私】を知らなかったから
だから
自動的に
永遠に
気付かないうちに
“悲しみ”という感情に
人生の主導権を握られていたんだろうな...
そう感じたのでした。
しかし
私自身が
今生
命をかけて
【自分自身を追究していくうちに】
徐々に
【本当の自分】を感じ始めてから
それまで
私の人生の主導権を握っていた存在は
少しずつ少しずつ
消えていき...
今は
影響を受けることは
ほぼ
無くなりつつあります。
私が
それに気付けたのは
【孤独を怖れなかったから】です。
“寂しいから誰かと一緒に居たい”とか
“SNSで誰かと繫がりたい”とか
そんな想いから
誰かとつるむことをしなかったからです。
徹底して
独りでいました。
徹底して
【私】を追究しました。
“苦しみ”から
逃げませんでした。
だから...
私は
今
幸せを生きています。
そして
【幸せ】とは
“なる”もの...
「幸せになる」ではなく
“生きる”もの...
「幸せを生きる」として
実感しながら
この瞬間瞬間を
過ごしていくことを
私は
知ったのです。
孤独を受け入れたとき
【孤独】は独りでは無く、
私の中に在る
素晴らしい存在に気付き
素晴らしい存在と共に生きていくには
必要不可欠なものでもあったのです。
私は
独りではありませんでした。
そして
私の中に在る
素晴らしい存在こそ
“幸せ”であることを
私は
やっと気付けたのでした。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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