畑は
冬から春に変わろうとして
土を耕す季節に
なりました。
白菜が終わろうとしていたので
根っこごと引き抜き
土の上に
置いていました。
大地から
根を引き抜かれた白菜は
数日後には
枯れていました。
当たり前のことなのだろうか...
大地(全体)から
離れた白菜は
生きてはいけません。
逆に
引き抜いても
どこか
網の上に置いたままだと
枯れたままで
ずっと
姿を維持します。
大地に
触れているからこそ
白菜は
土の一部に
還ることができます。
“かえる”を
【帰る】とも
【変える】とも
【換える】とも
【返る】とも
【代える】とも
【買える】とも
【孵る】とも
表現しません。
これは
大切なことです。
【土に還る】とは
終わり無い
エネルギーの循環を
意味しています。
大地(全体)と
白菜は
離れていません。
エネルギーとして
循環して
1つです。
同じように
私たちも
エネルギーとして
1つです。
エネルギー=命に
変わりないことを
教えてくれたのは
畑の野菜達と虫や蝶
鳥や木々の葉や
土の中の微生物や
太陽の光や風や雨や雪や霜など...
言葉では無く
生き方や在り方を通して...でした。
大地(全体)を
愛や光や優しさや法則という
文字に置き換えていくと
愛や光や優しさや法則から離れて
法則からズレて
想いを持ち
言葉を放ち
行いを為したら...
それは
生きては行けないことは
明らかです。
苦しいし
悲しいし
辛いし
迷いに迷って複雑化し
周りの全てから分離するから
いつも
警戒し
棘のある言葉を放つか
逆に
カワイそうな自分を表現をして
周りから
構って貰おうとしたりすること...
もちろん
法則からズレているから
息もできません。
息こそが
繋がりの証だから。
だけど...
気付いて
自らの行いを
悔い改め
改善することに
努力を始めようとするなら
その時から
流れが
ガラリと変わることも
体験しました。
全体から離れて
法則から離れて
命から離れて
愛から離れて
生きていけるものは
何も無いことを
身を以て
教えてくれたのは
間違いなく
畑の野菜達でした。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE