かなりの月日を


障がい児と共に過ごしたことは



それが


素晴らしい贈り物であったことを


強く感じます。




筋ジストロフィーや


脳性麻痺などにより


 言葉を発することができず


文字の表記も難しかった


当時の生徒達は、


自分自身の想いを表現するために


わずかな指の動きや


声の抑揚や


目の動きや


頬の筋肉の動きなどを通して


私に伝えようとしてくれていました。


パソコンなどが


まだまだ


今のように普及しておらず


教材も


かなり手作りしていた時代に於いて


生徒達の表現方法は


もう言葉や文字を越えて


私自身が


どれだけ


生徒達と心身一体になって


生徒達の気持ちを


感じ取ることかできるのか、を


日々


問われているようでもありました。





だから


学んだのです。





言葉は


文字は






美しく


素晴らしく


きれいであるように


表現できてこそ


本来の役割であることを。






怒りや悲しみなど


感情にまかせて


言葉や文字を使うことを


私は


自分自身が散々やって来たし、


そんな人も


数え切れないくらいに


見てきました。





しかし


そのような想いを持った


言葉の使い方をしても


周りの人を


傷つけることはあっても


周りの人を幸せにすることは


絶対にありません。



しかも


そんな言葉や文字を


放った本人自身が


誰よりも


苦しくなっていくことも


私は


知っています。




情報化が進み


沢山の文字や言葉や映像は


溢れているけど


本当に胸打つ


自分自身の生き方までをも


変えてくれるほどのものを


目にしたことは


ごく僅かで


数える程度です。






美しい言葉で


自分自身を飾って


賞賛浴びて


それを楽しむことを


否定しませんが...






障がい児と共に過ごしてきた私は


言葉は...


単に“言葉”ではないことを


感じているから....







だから


今日も


感謝しながら


想いを託し


つれづれに


文字を綴ります。







熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE