私が
遺書を書くくらいに
どん底にいたときに...
私に対して
「MOEさんは
井の中の蛙だね。」
「あなたみたいな人に
教師になってほしくない。」
「きれい事言うな。」などなど
今
思うと
どん底の状況下で
これだけ言われて
よくまあ
黙っていられたなあ、と
思います。
当時の私は、
私に放たれた
これらの言葉に対して
(他にももっと言われていましたが
脳のキャパを越えていたので
記憶にありません。)
絶対に
反論しませんでした。
それこそが
私の誇りでもありました。
「この言葉から
私は何を学べと言われているのか」
ずっとずっと
そう考えてきたことが
今
何が起こっても
「何を学ぶのか」と
クセ付き思うようになりました。
そして
1つの言葉について
日々
想いを正し
言葉を正し
行いを正していく中で
ふとした瞬間に
その放たれた本当の意味が
ハッキリ分かることが
何度もあったのです。
自分にとって
心地良い言葉が
私を成長させてくれたわけでは
ありませんでした。
むしろ
厳しい言葉や指摘こそが
私が【私】を深く広く観ていく
きっかけとなっていきました。
絶対に
私は
逃げませんでした。
逃げる場所など
私には
もうどこにも無いくらいに
どん底だったことが
幸いしていたことに気付いたのは...
それなりに
月日が過ぎてからでした。
厳しい言葉や指摘して下さった方々が
今
私にとって
素晴らしい神様そのものだった、と
今
深く感謝するのです。
どこにも苦しみは無く
どこにも悲しみも無く
どこまでも自由で
どこまでも広く
どこまでも美しい世界に
既に
生かされていたこと...
これを
実感できるか
頭だけでイメージするのかは
全くベツモノであることを...
改めて
思います。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE