まつげが


目に入ったときに


暗いところで


まつげを取る人は


いないと思います。


また


鏡を見ないで


まつげを取る人は


いないと思います。





まつげを取るためには


まず


【明るい場所へ行くこと】


から


始まると思うのです。




思い出したことがあります。

何年前だったか、

急性虫垂炎になったことが

ありました。

当時は

まだ

教師をしていたのですが、

午前中に

急に吐き気と悪寒が

し始めました。

胃のあたりが

痛むように感じたかと思うと

痛みの位置は

どんどんと下方へ

降りてくるのが

ハッキリと分かりました。

それと

同時に

痛みは強くなり

歩くことさえも

ままならないように

なり始めた時...

私は

給食開始直前に

早退しました。

そして、

近くの病院へ行きました。

すぐに

レントゲンを撮ると

ドクターからは

「紹介状を書きますので、

 近くの国立病院へ行って下さい。」

と言われました。


その後

夕方には

オペ室に入り、

いわゆる盲腸は

切除されました。




もしも

痛みが

急性虫垂炎だと

初めから

分かっていたならば

レントゲンは

撮る必要はありません。



レントゲンは

【見えない部分を

 明らかにして(明るく)

 原因を追求するために】

使用するのです。





目に入ったまつげも

急性虫垂炎も

共に

【痛みを取るためには

 最初に

 明るさが必要だった】。












これは

心の苦しみという“痛み”についても

同じでは無いだろうか、と

私は


思うのです。




苦しみの原因を

過去生だとか

親の育て方だとか

学校教育の在り方だとか

社会のシステムだとか...

過去や外側に

原因を求めても

そこには

相手に対する怒りや非難

または

過去に対する

後悔や罪悪感、悲しみ

さらには

社会的なことならば

無力感や虚無感などで

いっぱいになり

原因を追求すればするほど

よけいに

苦しみは増していきました。





様々な

セラピーや占いや

心理学などの学術的なものも

心に余裕のあるうちならば

それもできるのでしょうが、

起き上がることさえ

ままならない状況にまで

落ち込んだ人間に対して

それらは

全く無力でした。





苦しみの原因は

自分自身の記憶には無くても

自分自身が知らずにやってしまっていた

想いの間違い

言葉の間違い

行いの間違いの結果が

現象として表れたことで、

具体的な内容は

知る必要なんて

何も無く

【明るいところへと

 自分自身の意識を

 向け続ける努力を重ねること】からしか

何も始まりませんでした。



この世界は

愛の法則・慈悲の法則で

できているならば



自分の想いは

愛・慈悲に合致しているのか



自分の言葉は

愛・慈悲に合致しているのか




自分の行いは

愛・慈悲に合致しているのかと


いつもいつも

そこだけに

意識を置くようにする...。







それが

まつげを取るときに

まずは

明るいところへ行くこと、



急性虫垂炎の原因を知るために

レントゲンという

内部を明らかにする機器を使うこと、と



共通するように

感じるのです。




【苦しい、辛い】だけを

見て感じていても

苦しい、辛いという痛みが

無くなることは

絶対にありません。





痛みを取るためには

まずは

【どこに意識を向けるのか】

ここに気付くことから

始まるように感じています。




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE