ある人に
ある記事を
読んで貰い
感想を訊きました。
すると
「響かないんだよね。」
一言
返ってきたのです。
ずっと
その人の記事を見て
何か【違うな】と
感じていました。
良い、悪いでは
無いのです...。
学校現場で
「いじめはしません」
「ゴミは拾いましょう」
「誰とでも仲良くしましょう」
言葉は
そう表現しますが...
実際に
できている児童は
ほとんどいませんでした。
そもそも
「いじめはしません」
と言っていた
私自身が
【いじめをしている】のに
子ども達に
「いじめはしません」と言っても
説得力がないのです。
【響かないのです】
私自身が
“いじめをしていた”とは
私自身が私を
「こんな私じゃダメ」
「もっと努力しなきゃ」
「もっと頑張らなきゃ」
常に
休む間もなく
いじめ続けていたのです。
そんな想いがある私は
至らなさのある若手の教師に
「それは違う。」
「これはこうする。」など
私の価値観を押しつけていたと
思うのです。
「ゴミは拾いましょう」も
同じです。
学校現場で
人の目がある場所ならば
ゴミを拾いましたが
学校から一歩出たら
拾える状況であっても
“見て見ぬふり”を
やり続けていました。
しかし
学校では
子ども達に
「ゴミを拾いなさい」と
言っていたのです。
子ども達に
言葉が
【響かないのです】
「誰とでも仲良くしましょう」
職員室で
うわさ話を
どれだけ耳にしてきたことか。
自分自身が
できていないこと
やれていないことを
言葉にしたり
文字にしたりしても
虚しく響くだけ...。
子ども達の姿は
大人のそのまんまの
縮図に見えます。
不登校も
軽度発達障がいも
ありとあらゆる子ども達の現れは
私たち大人に対する
全身をかけたメッセージではないでしょうか。
命をかけたメッセージではないでしょうか。
命をかけたメッセージに
気付けている大人は
どれだけいるのでしょうか。
その答えを
ずっとずっとずっと
私は
求め続けていたのです。
その答えが
【自分を知る】だったのです。
徹底して
【自分を知ること】を
追究し続ける
私に対して
あなたのメッセージは
【自分に 固執したエゴだ】と
そう言い切った大学勤務の方も
いました。
私は
あえて
言い返していません。
論破することが
私の生き方に
合致しないからです。
しかし
断言して言えるのは
この大学勤務の方は
【自分を知らないから】
私に
そんなことを言えたことだけは
分かります。
響く言葉は
【キレイごと】という言われ方は
絶対にされません。
響く言葉は
【きれいなこと】でしか
ないからです。
“キレイごと”を
表現する人は
きっと
自分自身が
苦しいでしょう。
ニセモノの表現だから。
見る人は誤魔化せても
自分自身の心までは
誤魔化せないから。
【響く言葉】が
溢れる世界は
【自分を知ろうと
努力し続ける人の言葉】
そんな言葉に
この世界が
満ち満たされるならば
子ども達の笑顔の花が
きっと
咲き拡がっていくでしょう。
名も無き花だとしても
足元に咲く
小さな花が
今
とても美しく光ることに
気付ける自分であろうと
思います。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE