私が
子ども達と
語るとき
私が
表現するのは
これまでの人生の
失敗談です。
次男坊に
訊かれました。
「お母さん
お母さんが
今まで生きてきて
人生で
一番恥ずかしかったことは何?」
私は
すぐに答えました。
「お母さんの生き方は
傍から見たら
きっと
ほぼほぼ全てが
恥ずかしいかもしれない。
だとするなら
そこに1番も2番も無いから
お母さんにとって
【恥ずかしいこと自体が存在しないの】」
・・・・・
笑笑笑笑笑笑
3人の子ども達は
大爆笑です。
子ども達に話す内容は
例えば
与論島にいたときに
アメリカ人がいて
「Where are you from?」
って訊ねたら
日本語で
「金ない」って
返事が来て
びっくりしたよ...
さらに
このアメリカ人は
なぜ
初対面の私に
「金ない」と言うのか、
私に
「おごって欲しい」と
言っているのか...
そう考えて
アメリカ人から
一歩引いたの...。
ところが...
私が
「金ない」って
聞こえたのは
勘違いで
「Where are you from?」に対して
「金ない」じゃなくて
「Kadena(嘉手納)」って
言っていたんだよね~(笑)
「この話聞いてどう思う??」
これが
私と子ども達との語りです。
「どう思う?」に対して
子ども達は
「僕だったら...」と
様々な角度から
思案していきます。
自分の視点
他者の視点、
国の視点、
宇宙の視点、
神様の視点...
子ども達は
私の失敗談を
何度も聞きたがります。
何度も
何度も
何度も
聴いて
「じゃあ
どうするのか」と
様々に置き換えて
学んでいくのです。
人は
成功しておごるより
失敗談から学ぶ方が
遥かに大きいのです。
しかも
私は
寝たきりだった姿を
子ども達に見せています。
今更
【親として】の体裁だとか
格好つけようもないのです。
だから
子ども達は
安心して
疑問も想いも
ありのままに
私に表現してくれます。
そして
美しいものは
あえて
言語化することは
しないのです。
美しいものは
静かに静かに静かに
感じ入るまで
そこに身を置く。