21歳の頃だったか
知的障害者入所施設で
実習生として
1ヶ月間
過ごしたことがありました。
実習の最終日に
当時
30代の方から
手紙を戴いたのです。
封筒を開けてみたら
2枚の便箋には
隙間無く
「レレレレレレレレレレレレレレレ」
最後の最後まで
“レ”でした。
その時ほど
文字について
考えさせられたことは
ありませんでした。
私に手紙を下さった
30代の方の気持ちは
とても
伝わりました。
しかしながら
内容については
私には
何一つ
理解できていませんでした。
昭和55年以前に
就学年齢に達していた
障がいのある子ども達は
【障がい】を理由に
就学免除や猶予されていた
時代があったことを
私は
この時に
目の当たりにしたように思いました。
おそらく
この30代の方ならば
養護学校で
文字や数を学ぶ機会が与えられていたら
文字を読み
文字を書き
数字を使って
日常生活に必要な計算が
できていたでしょう。
文字が読めること、
文字が書けることによって
観えてくる世界は
拡がっていきます。
文字とは
非難批判、中傷し
誰かを傷つけたり
自分を誇張するために
使うものでは無く、
受験に勝ち抜くための
道具でも無く、
想いを共有し、
知的な資産を引き継ぎ、
より
美しい世界を
創造するために
存在しているものだ、と
私は
解釈しています。
学びとは
強制されるものでは
ありません。
また
学び方には
様々なやり方も
あります。
さらに
学びは
楽しいものです。
そして
身に付けた能力は
人が幸せになるために
使い続けるとき
能力は
さらなる能力となって
高まっていき、
誰からも
奪われることは
ありません。
溢れすぎる情報の中
文字が様々に
表現されていますが...
私たちは
今
初心に返って
一から
この世界を
観てみることが
求められているように
感じています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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