苦しかった時
ある方に
「どうしたら楽になれるか」
訊いたら
【気付くだけで良いのです】
そう言われたんですね。
当時の私は
とにかく
自分自身の内側から
溢れ出てくる
苦しみから
解放されたくて
それだけで
必死に
もがいていたんです。
もがいて
あがいて
どうにかして
楽になりたかったんです...。
だから
訊いたんです。
「どうしたら楽になれるか」と。
何か
特別な方法が
あるかと...
思っていました。
しかし
返ってきた答えは
【気付くだけで良いのです】。
この答えに
拍子抜けしました。
ところが
実際に
毎日毎日
想いを正し
言葉を正し
行いを正しくしようと
取り組む中で、
ある時
突然に
“あっ、そうだったのか~”と
気付くときが
度々あったんです。
やがて
そんな体験を重ねるうちに
【気付くだけで良いのです】
と言われていた意味が
何となく
分かるようになってきました。
想いを正し
言葉を正し
行いを正しくしようとする中で
様々な体験を経ることを重ねていくと
【突然の気付きこそが
神様からの贈り物なんだ】と
感覚で感じられるんです。
そこには
思考も感情も這い入る余地がない
とても純粋な“気付き”がありました。
自分自身を改善するって
例えば
目の前に現れた人や
目の前に現れた出来事に対して
その瞬間に
自分自身が
何を想ったのか...
それに
気付くようにしたんです。
それが
自分自身の思いのクセでした。
瞬間に想うことは
意識しないと
すぐに忘れてしまうし、
意識しないと
毎回のように繰り返してしまいます。
だから
この瞬間も
いつだって
気が抜けないんです。
そして
思いのクセが
「神様ならそう想うのか」に
いつも照らし合わせてみて
合致しないならば
「神様ならどう想うのだろう」と
考えて
自分自身を改善していくクセを
身に付けていきました。
どんなことがあっても
【これは何を学べと言っているのか】と
いつもいつも
私は
自分自身に問いかけています。
目に見える
耳に聞こえる
肌で感じる
全てのことから
自分は
何を学ばされているんだろう、と
いつも
意識しています。
問いに対して
今
答えが出なくても
必要なときに
必要な答えは
必ず現れる、と
確信しているから
頭で
こねくり回して
無理矢理答えを出し
違和感を感じるようなことは
もうやることも無くなりました。
もがいて
あがいて...
という行いこそが
個我で何とかしようとする
傲慢であったことを...
私は
長い月日を経て
苦しみを抜けた後に
やっと
“気付く”ことが
できたんです。
【気付くだけで良いのです】
その言葉は
真実でした。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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