大学時代に
空手部に
入っていました。
組み手と型がありますが、
私は
組み手が
どうしても
苦手でした。
一方で
空手の型は美しく
私は
型の方に
力を入れていたのです。
が
試合に
強制的に参加せざるを得ない
状況下で
嫌でも
組み手をしなければ
なりませんでした。
なぜ
組み手が
嫌だったんだろう...
痛いんです
怖いんです
逃げたくなるのです...。
そして
限られた狭いコートの中で
相手の突きや蹴りから
逃げようとすればするほど
相手から追い詰められ
結局
見事に
突きや蹴りが入り...
負けるんです。
組み手の試合で
勝ったことは
1回もありませんでした。
男子の組み手を見ていて
気付いたんです。
彼は、
組み手の時に
絶対に
相手から
目を離しませんでした。
それは
気持ちの面で
逃げたいとか
怖いとか
そんな想いを
一切持っていなかった、
という意味です。
僅かな動きも
見逃すこと無く
瞬間を捉えて
突きや蹴りを
放ちました。
一方で
強大な相手からの攻撃に
逃げること無く
逆に
相手に
攻撃するための
間合いを取らせないために
相手に抱き付いていきました。
そんな状況なら
相手は
突きや蹴りは
出せません。
審判から
離れるように指示があり、
再度
仕切り直しで
試合が始まります。
彼は
体勢を整えて
僅かなチャンスを確実に掴み
ポイントを勝ち取っていったのです。
大学時代の空手の試合が
生き方・在り方を
教えてくれていたこと...
今更ながらに
気付いたんです。
辛いことや苦しいこと
悲しいことや悩みなど
自分にとって
決して心地よくは無い状況から
逃げようとすればするほど
逆に
苦しみは大きく膨れ上がり
もっともっと
苦しくなっていったこと...
私は
それを体験しました。
大学時代の彼の空手の試合のように
例え
追い込まれた状況下であっても
逃げるではなく
逆に
自分から対戦相手に抱き付いたことで
相手から攻撃されなかったように、
苦しいことから
逃げること無く
しっかりと
真正面から向き合い
この状況が
何を教えてくれようとしているのか、と
受け止めることを
習慣化できさえするならば
見えてくる世界は
どんどんと
変化するように
思います。
また
私は
実際に
今
そう感じます。
さんざん
逃げ隠れして
家からも出ず
家事も育児も仕事からも
全てのことから
逃げて 逃げて 逃げて...
底の底のどん底にまで
落ちたから...
だから
表現できるんです。
どこに行こうとも
逃げられる場所が
無かったことを。
そして
私が
自分自身と向き合い
【私自身を知ること】を
徹底して
追究していく、と
覚悟し始めてから
辛いとか
苦しいとか
悲しいとか
周りの人の目とか...
そんな類いのものが
どんどんと
姿を消していったんです。
これは
事実です。
特別なことは
何一つしていません。
何か
紙に不思議なまじないを書いたりとか
風水だったりとか
そんなこと
していないんです。
ただ ただ
私は
自分自身が
誰かと出会った瞬間や
何かが起こる瞬間に
自分自身の意識が
どう反応するかを見つめ
その反応が
“神様ならそう思うのか”と
自分自身に問いただし、
答えが
NOならば
“神様ならどう思うのか”と考え
自分自身を改善する努力を
今もなお
ずっとずっと
やっているんです。
この言葉の通り
いつも光の中に在るように
意識を整える努力を重ねています。
足元に
いつも
ちゃんと
幸せは
在りました。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE