人参の種を蒔いたのは
昨年9月頃でした。
発芽までが
非常に難しくて
発芽したら
人参は
ほぼ成ったものだ、と
本に書いてあり
父からも言われました。
が
発芽しても
虫に喰われ
また
種を蒔き
やっと
発芽しても
またまた
虫に喰われ...
それでも
諦めずに
種を蒔き続け、
気付くと
袋の中に
あれだけあった種は
全て無くなっていました。
発芽しても
枯れてしまう人参もあったし、
虫は
頻繁にやって来ました。
そして
最近になって
ようやく
収穫し始めてから
ふと
思いました。
全ての種
一粒一粒に
「素敵な人参に成長するように」と
想いを託して
地に蒔きました。
しかしながら
収穫できるほどにまで
成長できたのは
全ての種の数からしたら
わずか1%くらいでした...。
人間を創造した神様も
きっと
この混沌とした世界(土)に
素敵な(幸せ)人間に成長するように、と
想い(種)を託していたはずです。
幸せ以外に
神様は
求めていなかったはずです。
そして
幸せとは
自分自身が
想いを正し
言葉を正し
行いを正し
さらに
明想を行うことで
自分自身を磨き抜き
“幸せそのものとして生きる”ことを
身を以て
現しなさい、ということではないか、と
思います。
だけど
神様の想いを
忘れてしまって
想いの在り方
言葉の在り方
行いの在り方を
間違って使ってしまった結果...
今の世界に
なってしまったのですね...。
人参が
収穫できるほどにまで
成長できたのは
わずか1%あるかないか...。
では
神様が創造した人間が
“神様が思うとおりの人間”にまで
成長できるのは...
いったい
どれくらいなんだろうか...
そんなことを
私は
人参の成長過程から
学ばせて貰いました。
素晴らしい人参が
育ってくれました。
素晴らしい人参のように
素晴らしい人間であるよう
今日も
努力を続けていきます。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE