【情じゃ無いんだよ。】


そうハッキリ言われました。


ハッキリ言ってくれた方に


私は


感謝しました。





【情じゃ無いんだよ。】







その言葉を聞いてから


しばらく時間が過ぎて


畑へ行った時に





「みんなちがって


 みんないい」


金子みすゞの詩が


ふと


出てきました。




ところが


「“みんなちがって みんないい”



 そう表現した



 金子みすゞは



 その言葉の通りには



 生きていなかった」




そうメッセージが


私の内側から


ありました。







本当だ...




納得したんです。









【金子みすゞ】






山口県長門市出身で


山口県下関市に住んでいた私は


金子みすゞの資料館に


確か


2回くらい


行った記憶があります。




自然の美を表現し


その視点の在り方は


叙情的であり


見る人を惹きつけるものがあります。






頭が良く


また


裕福であり


環境的には


当時としては


恵まれていたのでしょう。




結婚もして


娘が1人いました。






しかしながら


浮気を繰り返す夫から


梅毒を移され


自殺を図り


26歳で亡くなりました。










【みんなちがって みんないい】






本当にそう実感していたら


自殺を図りは


しなかったでしょう。







太宰治も


芥川龍之介も


その他


多くの作家は


【自分自身の内面を観た】けど


なぜ


自ら命を絶ってしまったのだろうか。






あれだけの表現を成しうるには


この目に見える世界だけの理解では


不可能です。





どれだけ


目には見えない世界を


感じることができて


それを


文字にできるだけの


語彙力と知性が無くては


あれだけの素晴らしい作品は


生まれなかったでしょう。








【自分を知ること】は


【自分の内面を観ること】




だけど...






悲しみや


喪失感や


虚無感や


やるせなさや


罪悪感や


後悔や


不安や


重たい責任感...


そんなとこを見ることを


【自分を知る】とは


言わないことを


私は


体験から学んでいきました。





そんな面ばかりを見て


それが【自分だ】と


勘違いしたら




それこそ


【生きていて ごめんなさい】に


なっていくでしょう。







ただ


感情は


余りにもリアルで


すぐに


感情に


人生の主導権を


握られてしまいます。





だから


明想をして


【本当の自分を感じる】ための


努力を重ねていっています。





“メイソウ”を


たいていの人は


【瞑想】と


表現していますが


“瞑”は


{暗くて何も見えないこと}を


意味します。





だから


“瞑想”ではなく


“明想”をするんです。






{明かりを想う}んです。


{光を想う}んです。


{愛を想う}んです。





ひたすら


ただ ひたすらに


{愛だけを思い続けていく}





そしたら


ハッキリと


分かってくるはずです。






みんなちがって みんないい




それは


文言だけでは無く、


その通りの意識を持って


そう生きていくことが


どれだけ大切か、と


いうことを。






【情じゃ無いんだよ。】




感情では


自分自身も


家族も


友達も


関わる全ての人を


幸せにはできません。





感情を制し、


光そのもの


愛そのものが


【自分なんだ】



それが


実感できて


そう生きていく決意をし


努力を重ねていくとき





【情じゃ無いんだよ。】







その意味が


納得できるように


私は


想います。









熊本県合志市野々島


なぎの木整体


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