【生きることは働くこと】
2020年6月
山口県から熊本県にまで
わざわざ逢いに来てくれた
高校時代の友人から
この言葉を聞いたとき、
教師を辞め
ヒーラーとして
クライアントさんとの
個人セッションも
全くなかった私は
【私には生きる意味がない】と
瞬間的に
そう感じました。
ところが
友人は
「【生きることは働くこと】を
私のお父さんは
口癖のように言うけど、
今のMOEちゃんにとって
【働くこと】とは
【苦しいかもしれないけど
それでも
生き抜くこと】
じゃないのかな」
そう言葉を続けました。
小さいときから
ずっと
「大人になったら
働いて
自分で稼いで
自分で生活するんだ。
働かない者は怠け者だ。」
そう言われて育ってきた私は
働くこととは
何かしらの職種に従事し
金銭を得て
生計を立てることだ、と
解釈し、
また
そうすることが
社会人としての義務であり
また
自立した社会人の証だと
そう思っていたのです。
そして
その考え方に
疑いを持つことさえ
ありませんでした。
自分自身が
教師を辞めるまでは...。
【働くって何だろう】
2020年6月に
友人から聞いた
この言葉の意味を
ずっと
知りたかったのです。
雨の降る中
しかも
寒さの中に
7歳の娘が
持久走で
真剣に走っていました。
数日前は
キラキラした小雪が降る中
12歳の次男坊が
持久走で
真剣に走っていました。
寒い
キツい
辛い...
そんな言葉を
娘や次男坊から
1回も
聞いたことは
ありませんでした。
仮病を使って
休もうなんて
そんな想いさえも
持っていなくて
“目の前に現れる出来事に対して、
今の自分自身が
できうる限りの全ての力を使って
最大限の努力をして取り組むこと”
これが
【働くこと】の意味だ、と
私は
子ども達の姿から
学ばせて貰いました。
そして
目の前に現れる
出来事に対して
どれだけ
想いを尽くし
「ありがとう」と
言われたら嬉しいなどの
見返りを求めず、
ただ
行うこと自体を
自分自身の慶びにし、
その行いが
周りの人へ
“幸せ”となって
波及していくことが
【働くこと】の
意味なんだ、と
納得しました。
金銭のために
身を使うことは
悪ではありません。
また
肉体を以て
この世界を過ごすには
必要なものです。
ただ
【“働く”意味を知らないまま】
金銭のためだけに
身体を動かすことは
労働であり、
さらに言うなら
人をだましたり
人を苦しめたりしてまで
お金を略奪するような意識が
あるならば、
それは
【金銭の奴隷】だと
私は
解釈します。
“お金のために”
一番大切な
人に本来あったはずの
優しさや思いやり
誠実さや勤勉さなどを
自らの意思によって
手放してしまい
盲目的なお金の奴隷と化してしまっている...
【働くこと】とは
美しく
素晴らしく
慶びに充ち満ちていることなんだ...
やっと
その意味が
分かったとき
それは
何かしらの
職業に就いていようとも
就いてなかろうとも
年齢にも関係ないこと...
【働くことの意味】
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE