朝イチ
夫から
言われました。
「その考え方 嫌い」と...。
事の始まりは
朝の着替えの時に
夫が
首の後ろにある
洋服のタグが気になり
「この服、痛いな。」
そう言ったんです。
私も
色違いで
全く同じ服を着ていますが
そんな風に 感じたことが
無かったので
「意識を身体の痛みに向けなければ
痛みは無くなるよ。
意識が全てだから。」
そう言ったのです。
その言葉に対する
夫からの返しの言葉が
【その考え方 嫌い】
でした。
・・・・・
私は
何も言いませんでした。
しかし
【私の中】では
引っかかりがありました。
ここに来て
なぜ
“その考え方 嫌い”
そんな表現が
現れたんだろうか...。
一体
何を学べと
言われているのだろうか...
そう思いました。
相手を裁いていないか
自分自身に問いました。
答えは
Noでした。
さらに
自分自身に問いました。
相手に
自分の想いを
押しつけようとしなかったか...。
あったんです
私が
「消えてしまいたい...」
そう思うくらいに
苦しかったとき、
夫は
必死になって
私を救いたい、
私を助けたい、
そんな想いで
毎日
夜間警備や
時々入る
整体のお客様への施術の
合間を縫って
本の読み聞かせ(心身の神癒)や
阿蘇へドライブなどに
連れて行ってくれていました。
本当に
必死でした。
妻から
目を離せば
もしかしたら
死んでしまうかもしれない...
神経の糸は
いつも
緊張状態だったはずです。
だから
夫は
夜間警備に行くときには
私を
長男に託していたんです...。
私自身も
私の内側から溢れる苦しみから
解放されたくて
必死になって
とにかく
【自分を変える】ことを
徹底して
やり続けました。
想いを改善し
言葉を改善し
行為を改善し、
そして
明想を続けて 続けて 続けて...
気付けば
かなりの月日が経って
今に至ります。
その途中で
私は
手の指の関節の痛みを体験し、
また
コロナウィルスに感染した時には
意識を失い
心拍も呼吸さえも
していなかったと言います。
しかし
私は
この肉体が
私では無く
私は
“光であり
愛であり
完全な意識そのもの”だと
強く強く想い続けたから
気付けば
手の指の関節の痛みは消えていたし、
コロナウィルスに感染した時に
意識を失っていたときも
私は
静かな中で
ただ光を観ていた...
そんな体験をしてきたから...
夫の朝の言葉に対して
「意識を身体の痛みに向けなければ
痛みは無くなるよ。
意識が全てだから。」
そう伝えたのです。
少しでも楽になれたら良いな...
そう想っていました。
また
意識の在り方が
どれだけ大切なのか、を
共に
同じ想いを以て
道を歩んでいきたい、と
そう想っていました。
だけど...
【その考え方 嫌い】
だったんです。
思いました。
どうぞ
嫌って下さい、と。
私は
私が
必死になって
積み上げてきた
努力に対して
成してきたものを
“嫌い”と言われても
それは
譲りません。
【意識の在り方が全て】は
真実だったから。
私は
私自身の意識の在り方が
愛の法則・慈悲の法則から
ズレていたから
苦しかったんです。
毎朝
起き上がれないくらいに
身体が重たかったのです。
だけど
そのままの私で居たくなかったから
【変わりたい】と切望し、
【変わる】と決意して
日々
一瞬一瞬を
過ごしてきたのです。
私だって
夜には
ロードショーを
子ども達と観たかった、
私だって
子ども達と
ワイワイやりたかった...
私だって
私だって
私だって...
そんなこと
数え切れないくらいに
味わってきて、
それでも
私は
そんな想いを吹っ切って
ひたすら
明想を続けての
【今】
なんです。
夫が
スポーツ観戦しようが
何をしようが
私は
何も言わない、と
そう伝えました。
しかし、
今の肉体が
この現象の世界で
存在していられるのも
時間的に
限りがあります。
束の間の快楽に
大切な時間を費やすほどの
そんな時間は
私には
ありません。
「その考え方 嫌い」
その想いは
おそらく
夫の中に
ずっと在ったのでしょう。
種があったから
今
言葉にして
私へと
放たれたのでしょう。
良かったです。
私は
この言葉から
また1つ学びを戴けたんてす。
嫌われても
否定されても
道半ばの私は
私の意識を見つめ、
ひたすら
自分自身を磨いていく
努力を続けていこう、と
より強く感じました。
ただね...
思うよ。
「その考え方 嫌い」って
一体
誰を 何を
嫌っていたんだろうね、と。
この世界は
意識によって
創造されていく
素晴らしい
美しい世界だと
私は
自然から
学んでいるのですから。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE