【どれだけ信じ抜けますか?】
そう問われていると
感じていました、ずっと...。
手の指関節が
痛みを表しだしたのは
1年ちょっと前だったか...。
だけど
私は
指関節の痛みを
誰に対しても
一言も
口にしませんでした。
また
痛いそぶりも
一切見せませんでした。
痛みは
朝起きるときが
一番強く
感じられました。
でも
私は
この時
絶対に
神様を
信じ抜く...
そう決めていました。
もしも
私が
この時に
自分の指関節の症状を
ネットで調べたり、
病院に行ったり、
薬を飲んだりしていたら、
私は
おそらく
一生涯
なんらかの病名が付いたまま
症状を抱えたまま
生きていくことに
なったかもしれません。
私が
信じたのは
私を創った創造の主である存在でした。
私の手は
朝起きてから
休むこと無く
これまで
ずっと
生み出してきてくれていました。
美味しい料理や
笑顔になるスイーツ、
時には
服を縫い、
時には
フラワーアレンジメントで
心がホッとする
素晴らしいものを
次々に生み出してくれている
魔法の手。
その手は
時に
人を包み
温かさで
心を包むことも
あったかもしれません。
そんな働きづくめの手に
私は
これまで
1回も
感謝することなど
ありませんでした。
そんな私に
畑がやって来たのです。
野菜作りでは
生まれて初めて
クワを持ち
土を耕し
重たい水缶を運び...
それでも
不思議と
畑仕事しているときに
指関節の痛みは
感じることは
ありませんでした。
そして
昨夏8月に
コロナウイルスに感染し
心拍停止
呼吸停止
意識不明となり
その時に
私は
ただ
光を観ていて
穏やかさに
包まれていた体験をして
改めて
この形在る世界が
“幻”であることを
確信したのです。
そして
8月の体験を経て...
秋になり
冬になり
気付けば
指関節の痛みは
消えていました。
気付けば
指関節のことさえも
忘れる日々が
続いていたことを
思い出しました。
そんな体験を経て
納得するんです。
信じ抜くとは、
苦しく 辛いときほど
状況に感謝することなんだ、と。
私は
この体験から、
もっと
私の創造の主である存在に対して
言葉にはならない
深い深い想いを
感じています。
痛い
とか
苦しい
とか
言わなかったのはもちろん
心の中でさえも
愚痴も不平不満さえも
全くありませんでした。
その時に
私が
思ったのは
【きっと またここから学べる】
でした。
指関節の痛みが消え
今
手から何かが
1つ また1つ
生み出されていく過程で
私は
手が働いてくれていることに
感謝しています。
と同時に
行きたいところへ
私を
連れて行ってくれる足
私を
生かしてくれている
【命そのもの】に
敬意を感じています。