夫が私に言いました。
「MOE
【苦しきものよ 幸いなり】は
本当だったね」
【苦しきものよ 幸いなり】
これは
心身の神癒に記載してある
1文です。
苦しかった当時
寝たきりだった私に
夫は
度々
心身の神癒を
読んでくれました。
その当時
“苦しきものよ 幸いなり”
その言葉の意味が分からなくて
何が伝えたいのか
何を言いたいのか、と
反発していたことがありました。
苦しいことから
早く抜け出したくて、
寝たきりの自分が情けなく
いつもいつも
メビウスの輪のように
同じ所を思考がグルグルして
いつまで経っても
変わらない自分、
変われない自分が
情けなく
悲しく...
だから
【苦しきものよ 幸いなり】
この言葉の意味に
何とも言えない気持ちになりました。
と同時に
【苦しきものよ 幸いなり】
この1文の後に続く言葉に
糸のようだけど
僅かな希望を観ていたのも
また事実 でした。
【その者は天の国を観るだろう】
“ 天の国”とは
自分自身の意識の在り方の
表現だったことを
実感するまでに
かなりの時間を
必要としました。
2020年2月だったか...
私は
上江洲義秀先生のセミナーを終えて
高速バスで
自宅から最寄りの停留所に
帰り着いたのは
22:40頃。
その日は
雪が降り
風もかなり強く
停留所から自宅までの距離4.7㎞を
約10キロ近い荷物を背負い
歩くには...
遥か先のように
感じていました。
その頃の夫は
夜間警備をしていて
私は
夫の迎えも叶わず
歩いて帰ることを
決めていました。
雪降る風吹く中に
夜間警備をしている夫と
同じ状況を私自身も体験することで
夫の気持ちを知りたかったし、
夫に対する感謝も創造されました。
また
当時は
経済的な不安も強かった私は
私にできる節約方法は
タクシー代を使わないことくらいしか
思いつかなかったのです。
高速バスの停留所から
自宅まで
1時間半歩き
自宅に着いたのは
23:50頃でした。
それでも
歩いている途中
寒いとか
辛いとか
全く思いませんでした。
セミナーを終えて
私は
自分自身の内側から
幸せを
確かに
感じていたのです。
その後も
2021年4月から
約半年間にわたる
派遣労働をしました。
「派遣の人は休憩室で休んだらダメ」など
今まで
体験したこと無いような
差別や偏見を
目の当たりにしましたが
私は
このような言葉を発する人に対して
嫌悪感や非難することなく
ただただ
「心が穏やかでありますように」
そう祈っていました。
私は
そうやって
体験を重ねながら
実際に
身体を使って
学んでいきました。
そして
私の元へ
畑がやって来てくれました。
私は
畑を“学びの場”だと思っていました。
だから
畑が
私の元へ
やって来てくれたとき
本当に本当に
感謝しました。
畑で
野菜を育てていくのは
並大抵の軽い気持ちで
できるものではないことを
知りました。
40キロを越える水缶を
一輪車で運ぶ途中に
一輪車がひっくり返って
また一からやり直ししたことが
何度も何度もありました。
夏の暑さは
身体を焼き尽くし
毎日着ていた作務衣の背側は
日焼けして
色は白くなっていました。
熱中症というものを
知らなかった私は
気付けば
何度も熱中症になっていたようです。
そんな体験を経て
夫から
言われた言葉
【苦しきものよ 幸いなり】
とても
重みがありました。
そして
今
私は
苦しかった時よりも
さらなる努力と
さらなる勇気と
さらなる忍耐と
さらなる意思が
必要であることを
実感しています。
学びには
終わりが無くて
だからこそ
謙虚さが大切なんだ、と
今日も
感じています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE