誕生日前に


共に


学ぶ方から


お借りした


1本のDVD。



 




私は


誕生日に


このDVDをお借りできることは


神様からの贈り物だと


解釈しました。



だから


誕生日に


家族で


視たかったのです。






私は


このDVDから


何を


感じるのだろうか...







私は


私を


観たかった...


だから


目を背けない...


そのことを


自分自身に約束して


DVDを視たのです。






周りの人(夫や子ども達)は


一切


意識には


入れませんでした。


私は


私の内側を


徹底して


見つめていきました。



迫害する人たちや


 自分自身を知らないからこそ


周りの雰囲気に飲み込まれ


真実が見えていない


群衆の在り方を...





私は


【私】だと


思いました。




迫害する人や


群衆に対して


怒りは


沸きませんでした。





ただ


強い悲しみが在りました。





そして


悲しみを基盤にして


そこから


初めて


怒りが生まれていく様子を


私は


観ました。




大切なものを失う悲しみと


自分自身の無力に対する怒りと


無知な群衆に対する裁く気持ちと...






真理を命がけで伝えた


無限の底知れぬイエスの愛...






その姿と


今在る全ての出来事が


重なっていきました。






目を背けないで観て欲しい





自分自身を観る、とは


十字架にはり付けられるほどの


強烈な痛みです。




それに


どれだけ耐え抜いて


私は


私の内側の神を


100%観じられるんだろう...




その道は


どれくらいなんだろう...







涙は


出ませんでした。






だけど、


それくらいの覚悟が


自分自身を知るには必要なんだ、と


ハッキリと


伝わってきたんです。






DVDには


イエスを裏切ったユダの


裏切ったがゆえの


罪の意識に苛まれる様子が


とても


リアルに


表現してありました。





私が


かつて


苦しみの中にあったとき


私に観えていた


恐怖心と


重なる部分が


あったのです。





その時に


私は


気付いたんです。





私の中に


ユダがあったら


どうしよう...




それは


驚怖でした。





つまり


大切な人を裏切り


大切な人を死に追い込んでしまうほどの


ネガティブなエネルギーを


自分自身が持っているのでは無いのか...




私が


自分自身を


観きれなかった理由は


そこにあったんですね。






だから


それを


確認するために


DVDを


このタイミングで


お借りできたのだと


解釈しました。





映し出されていた


全ての役者の心の内が


自分自身の中にもあるんだ.


これは


決して


2.000年前の


過去の話じゃなくて



この瞬間に


起こっていることなんだ、と


それが


ちゃんと


納得できるまで


必要な経験を重ねて


昨日という日に


DVDを視る時間が


与えられたのですね。









DVDの表現から


どう感じて


どう受け取るのかは


それぞれの意識の在り方次第ですが...






私は


時間は無い



徹底して



自分自身を


本当の意味で


【知り得た】と言えるまで


磨き抜いていく必要があることを


強く強く強く


感じています。






熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE