「救いたい、助けたい」


そう思って


教師を辞め


ヒーラーになりました。


教師を辞めるには


並大抵の軽い気持ちでは


到底できないものでもありました。


それは


私が


当時


大黒柱で


経済的な面


全てを背負っていたから、です。


いつも


私の中に在ったのは


「私がちゃんとしなきゃ」


「私がしなきゃ」


「私が」


その 「私が」に押しつぶされ


教師を辞めてから


収入が無くなり


教師を辞めてしまった


罪悪感と後悔は


長く長く続き


私を縛り


苦しめていました。


その苦しみが深みを増したとき


私は


自死を思い


自死を事に移しました。


が、


事は


直前で止められて


私は


肉体を持ち長らえて


息をするだけの


ただのモノとして


布団の上に


肉体を横にする日々を


どれくらい過ごしていたのか...。


そのくらいになると


経済的なことも


未来のことも


どうでもよくなっていたのですが、


それでも


私の内側から


あふれ出てくる苦しみは


とどまることを知らず、


コンコンと出てくる苦しみに


「一体、私は過去生で何をしたら


今生こんなにも


苦しまなきゃならないんだ」と


思っていました、ずっと。



当時


夫は


言いました。


「そんなに苦しいなら


その苦しみを


ここに出してみろ。


俺に見せてみろ。」


と言ったのですが、


目に見える形として


出せるわけでは無いことは


誰にでも分かっているし、


だけど


目に見える形以上に


目には見えないこの苦しみは


とてもリアルでした。




そんなモノを


私は


私の内側に抱えて


「苦しむ人を助けたい、救いたい」と


思っていたのです。





なんて無知


なんて傲慢な想いだったことか...。




自分自身が


経済的に安定していて


家族関係も良好で


仕事も順調な状況ならば


苦しむ人や


自死を思う人に対して


「悩まないで。」


「苦しまないで。」


「何か私にできることあるなら


いつでも言ってね。」


「私が助けるから。」


「私が救うから。」


言えますよ。


お金持ちならば


お金を出す事なんて


痛くも痒くも無いでしょう。


自分が


安全帯にいて


助けたい、救いたいなんて


苦しむモノからしたら


そんな人から放たれる


言葉も文字もお金も...


胸には届かない、届かない、届かない...。






自分自身が


経済的に安定していて


家族関係も良好で


仕事も順調な状況での


助けたい、救いたいは


優越感や偽善や無知を増幅させて


実は


誰も幸せにしないどころか


新しい苦しみさえも


創る行いだった...



今なら


ハッキリ


分かります。




自分自身が


やってきたから...。




また


人とは


自分自身にとって


都合の良いとこしか見ないし、


また


都合の良いようにしか


解釈しないのです。




その悲しみを


どれだけの人が


我が事として


実感しているのでしょうか。





私が


自らの体験を


包み隠さず表現するのは


自分自身が被害者で可哀想とか


こんなに頑張ったんです、とか


偉い人に見られたい、とか


そんなことを


伝えるためではありません。




もし


今の私の胸の内側の状況だけを


文字で表現するならば、


「私にはできない」とか


「頭おかしいんじゃないの」とか


「あなたは特別なのよ」とか


思ってしまう人が


たくさん出てくるでしょう。



以前


ある人は


言いました。



「私もMOEさんみたいになりたい」と。




その方の


「MOEさんみたいになりたい」は


私の悩みや苦しみを


味わいたい、では


ありません。



単に


過去生が見える、とか


ヒーラーとして過ごしている、とか


そんな部分をさして


言っていたのでしょう。




もし


本当に


「MOEさんみたいになりたい」だったら


私が


どん底の時でさえ


私の所に来ていたでしょう。




私には


過去生は見えませんし、


自らを


ヒーラーとも称しませんが、


私は


今 ここに


文字には表せない幸せを


観じています。


その幸せは


例えば


霜柱が立つくらいに


気温が下がったときに


畑へ行く...


畑で作業しながら


35℃超える中に


畑作業をして


野菜を作ってきたことや


今の寒さの中での作業が


私をどんどん強く賢く優しく...


厳しければ厳しいほどに


私の内側が磨かれていくことに


本当の幸せの意味を


噛みしめています。




そして



知るのです。



自死を思う程の


あの苦しみがあったからこそ


私は


【本当の自分を知ることができたこと】を。




自分自身を知ったら


気付けば


助けたい、


救いたい、が


消えていたのです。



それは


【あなた】と【私】という


分ける想いが無いから、です。





「苦しむ私を見捨てないで下さい」と


言われました。



見捨てるも


見捨てないも


見捨てようがないのです。




私はあなたですから。




そして


私は


本当の自分を知っているから、


「私を見捨てないで」と言った方の中に


本当の光を


私は


ちゃんと観ているのです。





そして


この世界には


苦しみも悲しみも悩み...も


幻想であり、


全ては


「本当の自分に気付くための」


神様からの贈り物だった、と


全ての人が気付く日が


やって来るのだ、と


私は


自分自身の体験から


確信しています。






時は


もう


既に


変わりました。





これからは


この世界を


愛の法則、慈悲の法則だけで


生きていく


とても


シンプルで美しい世界が


創られていくのですね。








熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE