家族で


旅行へ


行ったとき


宿に泊まってきました。



数え切れないくらいに


いろんな宿に泊まってきました。





一晩過ごして


宿泊した部屋を出る前に


ベッドの布団を整えたり


使ったタオルを


一カ所に


まとめておいたりするのは


いつも


夫でした。





子ども達が


小さかったから


そのお世話で


私が


部屋を整えなかったのでは無く


その頃の私は


「お金を払っているんだし


どうせ


部屋の掃除をするんだから


別に


布団なんて


そのまんまで


いいじゃないの?」


そんなふうに


思っていたんです。





月日が流れて


気付いたことが


あるんです。




部屋に対する


意識の在り方自体が


“自分の心をそのまんま


映し出していたことを”






使ったまんま


汚したまんま


部屋を出ようとする...


それだけではなく


“お金を払っているんだし


宿の人がやってくれるでしょ”


そんな想いが


本当に


愛の法則を生きていたのか。





言わなくても分かること。







その答えは



NO




そんな汚れた部屋を


整えようともせず


“お金を払っているんだし”


という傲慢さがあるのに


その傲慢さにさえ気付かぬ


無知をさらけ出していたのが


使ってきた部屋の数々。






そんな私が


教師をしていたんです。


そんな私が


母親の顔をしていたのです。









使った部屋は

髪の毛1本無いように

意識しながら掃除をし

最後には

必ず

メッセージカードを置いて

部屋を出るときには

一礼して去るようになりました。





あるとき

何回も泊まっている

ホテルの受付の方に

「いつも素晴らしい対応を

ありがとうございます。

〇〇さん。」と

その方のお名前を言ったら

受付の方から

「もしかして

MOEさんですか。

前に

メッセージカードを

お部屋に置いて下さいましたよね。

とても

嬉しかったです。


あの手紙は

私のお守りになっているんです。」






そんなささいなこと?


いえ

ささいなことだからこそ

大切なこと。






もう一つは


そんなふうに


借りたお部屋を


大切に大切にして


2回目に


そのホテルに泊まったとき


全く同じお部屋だったときに


私だけでは無くて


お部屋自体が


とても喜ぶのが


肌の感覚で


伝わってきました。







ささいなことの中に

実は

全てがあったんですね。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE