2021年3月


100人を軽く越える人の中に


私は


泣きながら


助けを、救いを求めて


「変わりたい


 変わりたいんです。


 誰を観ても


 何を観ても


 素晴らしい


 美しい、


 そう思える


 自分に変わりたい」


叫ぶように言った


私の言葉に


上江洲義秀先生は


「あなたが


 命をかけて


 求めてくる限り


 私は


 命をかけて


 導きますよ。


 あなたは


 一人ではありません。


 ここにいる仲間、


 この地球上にいる


 何十億人の人が


 あなたを応援しているのです。


 頑張って下さい。」





その時


私には


解らなかったんです。


地球上にいる


何十億人の人が


応援してくれている???








月日が過ぎ、



自分の内側から


溢れてくる想いによって


肩を震わせて泣くあなたを


感じたときに



私は


他人事とは


どうしても


思えませんでした。





肩を震わせて泣くあなたは


まさに


あの時の私そのものだと


感じた


その瞬間に


私は


胸の奥から


祈っていました。




「あなたの胸が


穏やかさで


満たされますように、


満たされますように、


 満たされますように...」






途端に


はっきりと


分かりました。





地球上にいる


何十億人の人が


あなたを


応援してくれているのです。





あなたは


一人ではありませんよ。




その言葉は


間違いのない


真実だったことを。




だけど


あまりにも苦しくて


この目に見えるもの


この耳に聞こえるものしか


信じることが


できなかった私には



地球上にいる


何十億人の人が


あなたを


応援してくれているのです。



あなたは


一人ではありませんよ。




この意味が

分からなかったのです。





この内側から

溢れてくる想いによって

苦しんでいたことから...




私は

逃げられなかったんです。

しかも

逃げても逃げ切れないことも

分かっていたのです。


だけど

そこから

目を背けようとしていたから

余計に

苦しみは

膨らんでいき

さらに

吊し上げられるような

苦しみに

息ができなかったんです。




私が

 今在るのは

目を背けず

ひたすら

“自分”を

見つめ続けたから。





それは

苦しむことを

見つめることではないし、

かと言って

内側から溢れてくる想いから

目を逸らし逃げることでもない...




ひたすら

ひたすらに

想いを正し

言葉を正し

行いを正し、

正す基準を

“神様ならどうするか”に

常に常に

置き続ける意識をしたんです。



人の良し悪しではなく

神様の意識を

私の判断基準にしたのです。




そして

明想をし続けたのです。



明想すると

内側から

うるさいほどの

雑念や

時には

得体の知れない怖れや驚怖が

やって来て

私は

何度も何度も

目を開けてしまい

そこから

逃げていました。



だけど

ふと

思ったんです。

あぁ、

こんなにも

私の内側は

雑念でうるさい中で

私は

これまで

生きてきて

教師として

働いていたのならば

一体

何を

子ども達に

教えていたのだろうって。


本当の自分を知らないままに

一体何を

子ども達に

教えようとしていたのだろうって。



傲慢だ


そう思いました。









だから...













私は

徹底して

自分自身を

見つめ続けました。

醜さや怖れが出てきて

それに

押しつぶされそうになりながらも...

【私は愛です】

【私は光です】

【私は神です】

そう言葉を

心の中で唱え

必死になって

自分自身を

支えてきました。



私は

私から放たれる

【私は愛です】

【私は光です】

【私は神です】

この言葉のエネルギーに

導かれていたように

思います。

だから

言葉は

言霊

言われることも

実感するのです。




そして

私のように

自らの体験を、

自分自身の内側を、

包み隠すことをしない表現は

自分自身と

向き合おうとしない人からは

非難されたり

または

その人にとって

都合の良い記事のときには

フォロワーとなったり

都合が悪い記事であれば

フォロワーを取り消したり、

何回も何回も

フォロワーとなり または取り消しを

繰り返す方もいます。

その行いは

一体

何を表現しているのだろうか。



私は

そこからでさえも

私自身にとって

有り難い貴重な大切な学びだと

解釈しています。






自分自身と向き合うとは

自分自身の都合の良い解釈ではないし、

かと言って

苦しむことでもなく



自分自身と向き合うとは

我が内にある

本当の優しさ

本当の強さ

本当の愛が

こんこんと湧き出てくる感覚が

実感できるまで

磨き上げていくことだ、と

やっとやっと

私は

文字にできるように

なり始めています。



だから

自分自身と向き合う人こそが

本当の勇者なんです。




大切な人






それは


苦しみ生きるあなたであり

また

その苦しみから逃げずに

自分自身と向き合おうとするあなた。





努力を続ければ

必ず

実感する日が

来ます。



その苦しみこそが

自分を

強く

優しく

本当の自分 へと

生まれ変わっていくために

必要不可欠なエネルギーであったことを。




体験した人にしか

絶対に

分かり得ないことを。





一人じゃないことを。











熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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