ある方から
大量にゴボウを戴いた時に
おすそ分けしようと
母に電話しました。
実は
ゴボウのおすそ分けだけではなく
母にランチをご馳走したいと
思っていたので、
ゴボウは
良い口実だと思いました。
電話しました。
最初
ゴボウの話をしました。
が
「わざわざ
ゴボウだけで
行くには
距離があり過ぎる」
と
言われました。
私は
すかさず
言いました。
「近くに
美味しい食事処があるの。
昔
お母さんが
私に
ご馳走してくれたことが
あったでしょ。
お礼に
ランチをご馳走したいの。
ちょうど
バイト代も入ったし...」
そうなんです、
約2年前
コロナが
日本中に
一番
心理的な影響を
与えていた時期に
母は
地域商品券で
どん底だった私に
フランス料理を
ご馳走してくれていたのです。
母は
押しつけることなく
ただただ
私が
元気になることだけを想い、
ご馳走してくれていたのです。
が
母からの言葉は
「そんなことあったっけ?
忘れちゃった。」
忘れちゃった...
あぁ
何て
素晴らしい
一言だろう...
聴いた瞬間
そう感じました。
誰かに
何かをして
差し上げたとしても
「己がやってあげたんだ」と
傲慢になるのではなく、
やったことさえも
さらりと
忘れていくこと。
ただ
私は
私に与えてくれた
たくさんの恩は
忘れたくない、宝物。
だから
今できることは
お返ししていきたい...。
「忘れちゃった」と言った
母の言葉。
自分の至らなさも
愚かさも
みっともなさも
罪深いことも...
【自分を知ろうとしなければ】
無知でやってしまうのは
致し方ないのでしょう。
その行いがあったから
そこから学べたことも
また事実。
だから
自分を整えていこう、とか
人のために喜ばれることしよう、とか
真から思えてくるのでしょう。
やってしまった愚かな行いは
いつまでも
悔いてばかりいても
前には進めないから
「忘れちゃった」
そして
ひたすらに
自分自身を
磨き続けていくことを
どれだけできるかは
私たち
一人一人に
委ねられているのでしょうね、きっと。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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