苦しいとき


苦しいからこそ


助けて貰いたかった、


あの時。




もう


訳分からなくて


何して良いのか、


何から始めたら良いのか、


頭がぐるぐる回って


何も手に付かなかったあの時、


誰かに助けて貰いたかった。



誰かに...。




「助ける」


そう言ってくれた夫。


だけど


夫に私は救えなかった。



上江洲義秀先生なら


私を救って下さる...


わらにもすがる思いで


セミナーに参加するも


「私には誰も救えません。


私には誰も助けられません。


自分の苦しみや悩みから


救えるのは


自分自身しかいないのです。」と


ハッキリ言われて


愕然としたあの時。




だけど...


あの時


私は


自分の中に在る


本当の強さを


学んでいました。





あの時


私は


自分の中に在る


本当の優しさを


学んでいました。





あの時


私は


本当の自分を知るために


必死になって


いたんです。




恥も見栄も体裁も


全てをかなぐり捨てて、


あの苦しみや辛さは


自分自身の思いのクセや


観念概念などが


私から


剥がれる痛みだったことを


私は


月日を経てから


気付いたのです。





思いのクセも


観念概念なども


過去生や


今生のこれまでの生き方から


身に付けてしまったのなら





思いのクセや


観念概念などを


削ぎ落としていくことも


自分にしかできません。






自分自身しか


気付けないのです、


どんな思いのクセがあるのか、


どんな観念概念があるのか...。




自分自身を苦しめる


思いのクセや


観念概念に気付けたら


改善できます。


改善して


また


気付きがあったら


さらに


改善して


改善して


改善して...




そうやって


「神様ならどう思うのか」


「神様ならどう話すのか」


「神様ならどう行うのか」を


常に意識しながら


私は


1歩また1歩


進んできました。





その時に


あの時


体験してきた苦しみや辛さがあったから


家族みんなの絆が強まり、


家族みんなで生きる意味を本気で考え


家族みんなで幸せとは何か模索し、


家族みんなで“自分を知る”ことを大切にし


同じ方向を見て


歩いて行けるんです。





あの時の


苦しみや辛さは


大切な学びの時だったのです。



今なら


分かるように思えます。


「私には誰も救えません。


私には誰も助けられません。


自分の苦しみや悩みから


救えるのは


自分自身しかいないのです。 



そう言われた


上江洲義秀先生の言葉を。





本気で自分と向き合うとは


内側から


湧き出てくる


後悔とか罪悪感とか


不安や恐怖や心配や...


そんな感情に


振り回されること無く、


胸の奥にある


光そのものだけを見続ける


強い意志を持ち続けることだと


言えるようになったのも


自分自身が


そこから逃げずに


向き合ってきたからでした。




そして


そう思えるようになったのも


家族が傍にいてくれたからであり、


志を同じくする仲間がいたからでした。






この世界の全ては


本当の自分を知るために


様々なことが起こっているのですね。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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