大学を卒業し、


初めて


担当した生徒は


養護学校高等部の生徒でした。


その中でも


特に


 重複障がい児クラスの


担当となり、


初めての私は


戸惑うことも


多々ありました。



脳性麻痺や


筋ジストロフィーなど


障害のある


生徒たちは


その障がいのために


言葉を発することが


困難でした。



私は


生徒たちの


わずかな指先の動きや


眼球の動きや


顔の筋肉の動きや


その呼吸からでさえも


何を生徒は伝えたいのかを


必死になって


汲み取ろうとしていました。





その時ほど


私たちの口から


発せられる音声言語の素晴らしさを


感じたことは


ありませんでした。



何を言いたいんだろうか、


〇〇って表現したいのか、


〇〇って解釈は合っているんだろうか...



散々


思考は巡りました。





振り返ってみても


社会人1年目で


最重度と言われていた


生徒たちと


共に過ごせたことが


私が


道を外さずに


歩んでこられたのだと


思います。





あの時


どれだけ


生徒たちの言葉を


耳にしたい、と


願ったことか。



未熟だった私は


耳に聞こえるものに


頼ろうとしていました。



目に見えるものに


頼ろうとしていました。




既に


あの時から


目でも無く


耳でも無い


深い深い位置から


観ることができるように、と


学びを戴いていたのです。



私は


あの時から


発する言葉


1音1音を


意識するように


なっていきました。



もちろん


感情的になってしまったときには


鋭い言葉が放たれ


その言葉で


周りの人を


どれだけ傷つけてきたか


分かりません。



それも


この世界にある


法則を知らなかった


無知ゆえの愚かさだったと


思います。





私の尊い師は


今の社会では


障がい児、障がい者と


言われる人達でした。



私は


日々


共に過ごす中で


本当の強さ


生きる意味


在り方


人とは何なのか...


文字では


到底表すことができないことを


たくさんたくさん学ばせて貰っていました。


そして


生徒たちの保護者の


深い深い愛と


子どもを受け入れる器の大きさと


謙虚さと強さ、明るさを


いつも感じていました。




もし、


【障がい】という言葉があるなら


“自分と向き合うことをせず”


周りに対して


不平不満、愚痴を言う心こそ


【障がい】ということを


私は


いつも胸に留めています。




【学ぶために】


歩んできた道は


完全でした。




熊本県合志市野々島


なぎの木整体


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