文字を綴る...


一文字一文字


想いが


文字になって


現れてくるたびに


私は


自問自答します。


この文字は


どんな想いから


生まれてきたのか、と。



私にとって


文字は


光の玉のような


輝きを連ねた命そのもの。



文字も言葉も


想いから生まれて


パワーを持ち


必要な方の胸に届くし、


そうでない方には


文字は何のパワーも感じられない


不思議なエネルギー。




しかし...


そう綴れるのも


体験してきて


実感してきたからこそ


表現できるものであって


体験していない


本で読み得た知識や


セミナーで誰かの話を聞いて


書き記す言葉は


どこか虚しくて


私には


全く響かないのです。






かつて


「法則を知らない方が遥かに良かった」


そう言っていた時期が


ありました。






法則=真理






真理を知らなくて


仕事も人間関係も順調な人の方が


私より


遥かに遥かに


幸せそうに見えていました。




真理を知ってしまったからには


もう知らなかった頃には


戻れない...


でも


苦しい...


どうして?


一体私は


何をしたから


こんなに


苦しまなきゃならないの...


そう思っていたあの時。




明想すると


自分でも


驚くくらいに醜い部分が


湧き起こってきて、


こんなんじゃダメだ、





意識を切り替えて


呼吸に意識を向けて


「吸う息は愛。


吐く息も愛。」と


胸の中で唱えながら


深呼吸を繰り返すも


何も変わらない。



こんなんじゃダメだ...




想いは


後悔と罪悪感ばかり。



なぜ


教師を辞めたんだ、


なぜ


公務員を辞めたんだ、


私は


自由になりたくて


ただ


それだけだったのに


私のワガママで


家族を振り回して


今では


家族の重荷でしか無い...




ごめんね...



心から


そう思っていました。





ごめんなさい





ごめんなさい





ごめんなさい...







私だって


笑いたい


私だって


光を感じたい


私だって...


私だって...


私だって...










月日が経ち


経済的な不安や怖れなんて


どうでもよくなり、


生きているのも


どうでもよくなり...





底の底の底にまで


落ちたからなのでしょうか。


それとも


執着(思い込み・観念概念)が


剥げ落ちたからなのでしょうか。





私を救ったのは






言葉


だったんです。



頭では


理解できなくても


心で


感じられなくても、



私は


頭がおかしいと思われても


友達が居なくて孤独でも、


ひたすらに


上江洲義秀先生の光話を


聴きながら、


「私は愛です。」と


じゅ文のように


口にしていました。


掃除しながら


洗濯しながら


料理しながら


散歩しながら


寝るとき以外は


いつもいつも


光話を聴き、


「私は愛です。」と


言い続けました。


いえ


眠りに就くときも


光話を聴きながら


眠りに落ちて


朝気付けば


光話を聴きながら


目覚める...


お風呂以外は


ずっと聴いていたんです。


実感できるまで、


納得できるまで、


やってみる!!




苦しくても


辛くても


もう逃げ場は


私には


無いことも...


私の胸の奥の奥は


ちゃんと


分かっていたから。






そして、



思うのです。





逃げないで良かった、と。


法則とは


絶対でした。



何も無いところに


何か起こるわけはないのです。




私は


死に追い詰められるまで


苦しみましたが、


何が原因かは


私は


分かりません。


しかし


原因は


さほど重要でも無く


その苦しみがあったからこそ


私は


自分自身を見つめ


徹底して


想いを正し


言葉を美しくし


行いを誠実にしようと


努力を重ね続けることが


できたのです。




偽我の自分ならば


無知だし


未熟だから


身近な家族や


関係する人を


傷つけることも


数え切れないくらいに


あっても


致し方ないでしょう。



偽我のままの自分で


傷つけた方々に


償うなんて


不可能です。





だからこそ


逃げること無く


徹底して


自分自身を磨いていって


“本当の自分”を


追究していくしかありません。




努力の積み重ねが


やがて


実になり


実感し始めた その時


身近な家族と


私たちは


共に学んできたんだね...と


これまでの出来事全てに


【完全だ】と


思える日が来ます。



そして、


さらに


自分自身を高めていこうと


努力を重ねていくでしょう。




必要なのは


強い意志






そうやって


私は


家族に見守られながら


1歩1歩と


進んできました。





長男は言います。




「ママさんが


苦しんだから


僕は


この世界を幸せにできる


ロボットを創りたいんだ。」と。




次男坊は言います。


「僕が進む道を知りたいから


明想しているよ。」と。





娘は言います。


「ママ、明想頑張ってね」と。



償いなんて


思う必要は


ありません。



一瞬一瞬


意識を光だけに


向け続けたら、



自分から出てくる言葉も


自分から為されていく行為も


光のように輝いてくるから...




私は


そう思いながら


今日も


1歩1歩


道を進んでいきます。






熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE