私は
長い間
ずっと
自分の生きづらさを
母親の育て方が原因だと
思ってきました。
また、
私を傷つけた人のことを
長い間
忘れられませんでした。
昔を思い出しては
なぜあの時
〇〇されたのか
◇◇言われたのか、
逆に
なぜあの時
△△してくれなかったのか、
☆☆言ってくれなかったのか、と
思い返しては
怒りや悲しみや恨みや後悔で
いっぱいになっていました。
ところが
私が
【自分自身を知る】ことを
追究していくうちに
どうやら
私の生き方は
真逆だったようだ、と
思い始めたのです。
それは
この世界が
愛の法則・慈悲の法則として
想いが現象として表れる
原因と結果の世界だと
体験を重ねながら
実感として
感じられるようになってきてから
ますます
強くそう思うようになりました。
この現象として現れてくる世界は
真逆に動いているのでは無いか、と。
この世界は
完全なのに
私は
なぜ
わざわざ
過去を振り返り、
母親を非難批判し
嫌っていたのだろうか。
若い年で
私を産み
何も知らない中に
それでも
必死になって
育て上げてくれたではないか。
物質面では
私が困ったことは
何一つ無かったではないか。
私がやりたいことは
いつだって
サポートしてくれたではないか。
私を傷つけた人人人人人人人人人人人...
そう思っていた
たくさんの人達は
私が
傲慢にならないように、
私が私の内を観るために、
たくさんの学びをくれるために、
全ての人が
あえて
きつい口調や
心ない言葉や
いじめや
無視や
非難批判を
与えてくれたんだ...
そう思えるように
いつの間にか
なっていました。
と同時に
私は
自分自身が
ご縁ある方々に
これまで
何かを為して差し上げたことを
それを
「私がやったんだ」と
思う必要は無く
また
「お礼を言ってよね」と
感謝を要求することもなく
むしろ
やったことを
誰にも知られぬように
さりげなく行う美しさを
生き方にしていきたい、と
思うようになりました。
苦しいならば
間違いなく
自分自身の中に
何か
間違った
何かがあるはず。
何か
執着しているはず。
自分自身を
逃げること無く
真正面から
向き合い続けたら
必ず
必要な答えは
寸分狂うこと無く
完全なタイミングで
現れることを
今
私は
実感しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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