「分からない」


「分からない」


「分からない」



分からないには


大きく分けたら


2つの意味が


あるように思います。




1つは


幼い子どもだったとき


幼稚園の子に


小学校のかけ算が


分からなかったように、


まだ


学んでいないから


知的な面での


「分からない」。



これは


時期が来て


学習したら


分かるようになります、


計算練習を重ねるならば。






一方で


「分からない」は    






私自身が


これまでに


無意識に


身に付けてしまった


想いのクセや


考え方のクセ


「普通はね...」と


気付かぬうちに語ってしまう内容のような


観念概念などと


異なるものに対して湧き起こる


“分からない”。


文字を代えるならば


「実感できない」。




この「分からない」は


新しく出逢ったものに


反発しますし、


時には


怒りさえも感じさせます。




かつて


私が


上江洲義秀先生から


「私の話すことを


受け入れられなかった、


反発したとさえ言ったのは、


自分自身の中に在る


観念概念を


手放さないからですよ。




そう


ハッキリ言われました。




私自身の中に在る


思いのクセこそが


苦しみの原因であることが


分かりながらも,


分かりたいと


願いながらも


上江洲義秀先生の話の内容が


実感できないこと...


それが


何より辛かったあの日。






何回も何回も


呟いた言葉。


「分からない」




この言葉は


反発でもあり


怒りでもありました。




でも


私は


本気で


変わりたかった。




だから


日々


実践し続けたのです。



いえ


だからこそ


実践し続けられたのです。






上江洲義秀先生の言われているような


そんな世界があるのならば


私も実感したい...




そんな思いだけを頼りに


必死になって


自分自身を改善したのです。


思いを


言葉を


行いを...









そして


あるとき








分かった...





本当に


上江洲義秀先生の


言われていた通りでした。





こんなに


素晴らしい


こんなに


美しい世界だったなんて。





この一呼吸が


こんなにも


幸せなんて...。




分からない...


やがて


私は


この言葉を


使わなくなっていきました。





いつかは分かる、


そう変わっていました。






全ては


必ず分かる日が来ることを


確信しています。






熊本県合志市野々島


なぎの木整体


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