何かのご縁でしょうか、
久しぶりに
2年半前の
自分のブログが
目にとまりました。
その記事を読んで
「瞑想って何だろう」
そう思いました。
漢和辞典を
開きました。
瞑...目を閉じる
暗い
目が見えない
では
瞑想って
目を閉じて
暗くて
何も見えないことを
思うのか??
漢字とは
素晴らしいもので、
ブログにあるとおり
瞑想していた頃の私は
本当に
何を想っていたのか、と
自分で思います。
雑念の渦の中
何かを「見たい」という思いがあるなら
心像として
やがては
リアルに“何か”が現れていたのでしょうか。
あるいは、
「見たい」と思っていなくても
何かと波長が合えば
意識状態に見合ったモノが
見えていたのでしょうか...。
気付けば
それから
2年半も過ぎ去って
瞑想から明想へと
変化してきた日々の積み重ね。
明...はっきり見える
あかるく光る
疑いが無い
夜が明ける
静かな深い明想には
絶対に
正しい想い
美しい言葉
徹底して磨かれた行いが
根底にあってこそ
実現が可能になります。
そこを大切にしないで
メイソウして、
仮に
何かが見えたのならば
それは
愛や慈悲の波長とはズレた
“何か”だったのでしょう。
ただ
ただ
自分の内側の光だけを意識し
明想し続け...
時には
2時間明想し続け
やっと5分ほどの
静かな安らげる場所を感じた、と
思った瞬間に
また雑念がやって来たこと...
数え切れないくらいありました。
それでも
諦めなかった...
私は
私を
知りたかったから。
そして
今
ようやく
朝日が
見え始めています。
そこは
とても
美しい
素晴らしい世界の
入り口のようです。
明想は
まだまだ
深く広く高く
無限に
続いていきます。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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