友人が
数年ぶりに
自宅に来て
話してくれたこと。
「今までは隠せても
ネット情報もあり、
もう隠せない、
曝かれる時代がきたよね。」
それは
何も
情報だけでは
ありません。
続けて
彼女が言ったのは
“自分の内側も
苦しくて苦しくて
どうしてもどうしても
自分と
向き合うしか無い状況に
追い込まれていました”と。
“曝かれる時代”
自分自身の内側が
曝かれる時代。
じゃあ
その“自分”って何だろ?
これは
私が
実際に
セドナに行って
体験した話です。
初の海外が
セドナで
右も左も知らない私が
エネルギーが集まる場
“ボルテックス”と言われる場所で
やったことは...
内側にある想いを
手放しなさい
でした。
「ほら、
お腹のあたりにあるでしょ。
重たいエネルギーが。」
私は
自分自身の内側にある
怒りや悲しみや後悔や...
その当時
“感じていたもの”を
イメージによって
解放しようとしました...
が
余りにも
気持ち悪くなりすぎて
吐きそうになり
山の上で
叫びました。
あ”ーーー!!!!!!
1日を終えるときには
グッタリでした。
だけど
それが
ヒーラーとして
能力を高めるために
必要なんだと
どこか
酔いしれていました。
私は
知りませんでした。
“自分を知る”意味を。
でも
体験が教えてくれました。
そんなことやっても
100%
絶対に
“自分”は
分からない。
ネガティブを見て
なぜ
自分が分かるのか...
ネガティブを見たら
ネガティブに
意識が行く分だけ
ネガティブエネルギーは
増幅して
そりゃ
身体も気持ち悪くなります。
もっと
長い時間続くなら
病気にも
なっていくでしょう。
もし
セドナに行って
100%全員が
幸せに充ち満ちているなら
神様は
この世界の中で
セドナだけに
人間を創造したでしょう。
なぜなら
神様は
人間を
愛しているから。
幸せであって欲しいから。
ただ
それしか
望んでいないから。
知らなかったから
セドナに行けば
さらなる
スピリチュアル的な能力を
高めることができると
思っていた...
あの体験があるからこそ、
今
私は
目の前に在る畑のアリから
深い学びを戴くのです。
自分とは
そのまんまに
愛そのものだよ、と。
意識の在り方が
どうあるのか、
その意識を
常に
美しいもの
素晴らしいものだけに
向け続ける努力を
積み重ねていけば
必ず必ず
“自分自身”というものを
内側から
実感できることを。
だけど
人は
神様とか愛とか
表現すると
文字や言葉によって
それぞれのフィルターという
色メガネ(観念概念)を
無意識に使ってしまうから
ちゃんと伝わっていかないことも...
私は
知っています。
過去の全ての体験は
今に至る学びとして
必要不可欠でした。
その体験こそが
気付きが生まれるきっかけとなる
宝でもあります。
しかし
もう
ニセモノは
必要ありません。
だから
私は
インナーチャイルドの癒しも
過去生も
トラウマも
観ませんし、
意識が
そこには
行かなくなりました。
大切なことは
今
自分がいる場所で
どれだけ
意識を
美しいもの
素晴らしいものだけに
行くのか
言葉をただし
行いを改める...
ただ
シンプルな生き方をする...
そこに
幸せは
ちゃんとありました。