心理学を学んでいた頃
13年くらい前になるでしょうか。
その時を前後して
私は
“毒親”
という言葉を
初めて知りました。
外国の方が書かれたその本を
読めば読むほど
自分の母親がそのまんま表現され
また
心理学を学んでいたことも重なり
私は
徹底して
母親を心で責め
物理的距離を置きました。
特に
教師という職業は
そこに至るまでに
児童心理学
教育心理学
障がい児心理学
病理学など
様々に学んで
知識だけは
頭にいっぱい入っていたことも
母親に対する心地よくない想いに
後押ししていました。
ところが...
私自身が
教師を辞めて
経済的不安をきっかけとして
精神的に迷走状態となり
自死しかねない状況が
かなりの間
続いたとき
私自身が
子ども達を傷つける
とんでもない言葉を
発していたのです。
そもそも
自死しようとする
その想いや行いこそ
毒親以外のなにものでもありません。
その時の私は
自分が“毒親”だなんて
思いもしませんでした。
その時の私は
ただ
苦しみから逃れたい
それだけだったのです。
夜中に
道路に飛び出して
行き交うトラックの
タイミングを見はからい
いつ行こうか
いつ行こうか、と
思って
歩道に立っていた
私の数メートル後ろに
当時
小6の長男が
ずっと
見守っていたこと...
その姿を見て
私は
飛び込むのを止めました。
それは
1度や2度ではありません。
数え切れないくらい
何回も何回もあったのです。
そんな私に
子ども達が
泣きわめくでも無く
私を責めるでも無く、
また
被害者意識で
卑屈になるでもなく、
子ども達は
静かに
しかしながら
穏やかに
微笑んでいました。
時に
私に
子どもお手製の
温かな料理を
差し出しながら...。
そんな支えが
どれくらい続いたのか...
私は
私自身の意識を変えることでしか
全ての解決には至らないことを実感し、
徹底して
自らの想いを正し
言葉を整え
行いを意識して行きました。
もちろん
思いのクセに
引っ張られて
誰かを責めたり
後悔したり
いろんな思いが沸いてきましたが、
私は
負けませんでした。
もう
これ以上
同じ事を繰り返したくは無かったから。
私の笑顔で
子ども達を
幸せにしたかったし、
私自身
幸せでありたかったから。
子ども達から
学びました。
“毒親”から
縛られて
苦しむのでは無く、
“毒親”を
愛して包んで見守り続ける...
そこから
“毒”が抜けて
本当の“親”としての姿が
現れることを。
心理学も
教育も
誰かを責めるためにあるんじゃない...
心理学も
教育も
競争するために
知識をひけらかすために
あるんじゃない...
そんなことをしていたから
私は
苦しかったことを
知りました。
“毒親”と表現される親がいるとするなら
きっと
本人は気付かなくても
本人自身が
誰より苦しいんでいる。
誰より愛を欲している。
だったら
無条件に
愛を与えて与えて与え続けられるだけの
強さをも持つ自分自身を
育てていったらいい...。
それを
教えてくれたのは
海よりも深く
空よりも高い
子ども達の愛そのものでした。
その愛は
子ども達に関わる人を
どんどん
笑顔で充たしていっています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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