教師を辞め
ヒーラーとして
生きていこうと
過ごしてきた中で、
様々な方とご縁あり
出逢ってきました。
本当に
それぞれが
個性豊かで
私は
そんな出逢いから
数え切れないほどの学びを
戴いた、と
思っています。
熊本を離れ
県外で
個人セッションをしたときの話です。
初めて逢った方から
「MOEさん、私のこと
嫌ってますよね。」
と
言われました。
初対面です。
好きも嫌いも無く
全く
まっさらな状況の中に
突如として
言われた言葉。
「私は
本当は
MOEさんとは
逢いたくなかったんです。
だけど
神社に行ったら
何か
押されるように
“行きなさい”と
言われたから
来たんです...。
メッセージを
MOEさんに伝えるために。」
もう一方は
何度も
熊本に来られ
個人セッションを
受けられた方が
私に
メッセージを
スマホに送ってこられました。
「MOEさんに会うと
いつも
”あなたはダメだ。”と
責められているような
気がする。」
私は
あえて
言い返しませんでした。
「責められているような気がする。」
その人が
そう思いたいのだから
いくら
私が
そうではない、と
言葉を発しても、
反発心が芽生えたとしても
心底から納得することは
なかったでしょう。
私は
自らの至らなさを謝罪しました。
その方は
「また熊本に行きます」と
言われましたが、
それ以降
1度も
お会いしたことは
ありません。
さすがに
初対面の方から
「MOEさん、
私のこと
嫌ってますよね。」の言葉には
肯定しませんでしたが...。
当時
夫から言われたのは
「自分を見つめること
自分と向き合うことは
MOEにはできたとしても
まだ
準備が整っていない人には
驚怖でしか無い。
だけど
MOEのヒーリングは
自分の内側を見なさい、と言う。
そりゃ
苦しいよ。」
私自身も
ヒーリングを
苦しみや悲しみなどの
感情からの解放、だと
勘違いしていた頃です。
その苦しみや悲しみなどの
感情を解放するために
自分自身を知ることは必須、と
解釈し、
過去生をリーディングしたり
インナーチャイルドを癒したり
していました...。
が
結局
クライアントさんの思考は
余り変化はなく
私も
疑問で仕方在りませんでした。
いくら
「こうありたい」
「未来は〇〇になる」と
イメージしても
毎月
個人セッションするたびに
その場だけの理解に終わり
日常生活に
なかなか反映されないもどかしさを
私は
感じていたんです。
コロナウイルスにより
クライアントさんも
来られなくなって
一人になった私は
徹底して
自分自身を見つめざるを得ない状況に
追い込まれました。
思考と感情は
暴れに暴れまくり
私は
思考と感情に
主導権を握られ、
肉体を脱ぐ寸前にまで
追い込まれました。
思考と感情...
それは
私自身が
これまで作り上げてしまった
観念概念の表れであり、
それこそが
全ての苦しみの原因と
ハッキリ分かってくるまで
もがきあがき苦しみました。
そこまでしないと
私は
観念概念に気付けなかったのでしょう。
死と生のギリギリの線になるまで
自分自身を見られる人が
どれだけいるのでしょう。
もし
思考と感情が
主導権を持ったままだったら
私は
今
ここに生きてはいませんでした。
そんな体験を経て
分かったことは...
「嫌ってますよね」
「責められているような気がする」
そう言った方々は
そう言わざるを得ないくらいに
苦しかったのでしょう。
誰かのせいにしたら楽です。
それが
MOEだったんです。
ヒーラーにだったら
何を言っても大丈夫...
そう思ったのかもしれません。
お陰で
強くなりました。
そして、
ヒーリングとは
意識が高まり
外側の環境の影響を受けず、
自分の内側に
静かな空間が実感できること、を
意味することを
今
感じます。
そして
その意識状態こそが
“本当の自分”=完全なる意識
だったんです。
汚い自分
苦しい自分
悲しむ自分
嫉妬する自分
怒り爆発する自分...
そんな自分と思い込んでいたものは
全部全部がニセモノで
それを“自分と思い込む”ならば
そりゃ
苦しいです。
そりゃ
自殺もしてしまいそうになります。
誰かを責めたくもなるし
大切な人を傷つけることもあるでしょう。
「嫌ってますよね」
「責められているような気がする」
今なら
ハッキリ言えます。
そう言われても
私は
あなたを受け入れ
愛しますよ、と。
それが
私の生き方だから。
そう
生きていく、と
決めたから。
感情は
“私”ではないことも知りました。
感情は
“神様の意識を持つ私”の道具であり
だからこそ
道具に振り回されない“私”である
努力を続けていく...。
誰もあなたを嫌わない。
誰もあなたを責めもしない。
この世界にあるのは
美しさ
素晴らしさ
輝き
全ての人が体験する
様々な出来事は
そこに至るための
プロセスにしか過ぎないこと。
全てが必要な大切な学びなんですね。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE