私は
もう疲れ果てていました。
何か事があり
それが
個我にとって
都合が悪ければ
落ち込み
悩み
悲しみ
苦しみ...
その沈み行く先は
マリアナ海溝よりも
はるかに深く、
逆に
何か事があり
それが
個我にとって
都合が良ければ
喜び
楽しみ
幸せで
その登り行く先は
エベレストの頂上よりも
はるかに高いという
感情の揺れに
私は
もう...
疲れ果てていました。
“心のままに生きる”
そんな言葉もあるけれど
その“心”が
1番やっかいなものであることも
既に
分かっていました。
心のままに...
じゃあ
心って何??
って探ろうとして
心理学が
生まれたのでしょうけど...
心理学を学びましたが
それでも
“生きている意味”
“生きている目的”
“自分って何?”
その答えには
たどり着けませんでした、ずっと。
その心が
暴走した結果が
「消えてしまいたい」という念いと
「消えてしまうため」の実際の行い...
でした。
“心”とは
思考と感情が織りなす
一連の動き...
と
私は
今
解釈しています。
そして
“心”をどれだけ
追求しても
結局は
“心”を越えた視点から
物事を解釈することは出来ない、と
納得するのです。
では
私は
何をやって
今の場所まで
来たのでしょうか?
そこには
上江洲義秀先生との
出逢いがありました。
そして
私は
その出逢いをきっかけにして
自分自身の想い方のクセを
徹底して見つめ改善し、
発する言葉を正し、
行いを整え続け、
そして
明想に取り組みました。
さらに
ご縁あって戴いた
一冊の本は
一年以上読み続け
こんなにも
ボロボロになっていました。
最初...
この本を読んでも
分からなかったんです。
日本語で表記されているのに
理解できなかったんです。
それは...
その時の私が
頭で解釈しようとするクセが
私の理解をジャマしていたからでした。
だけど
スマホに
朗読した内容を吹き込み
毎日毎日
聴いていく中で
また
日々の様々な体験の積み重ねで...
ある時
胸の奥の奥から
“分かった”と
実感する瞬間がやって来ました。
それをきっかけにして
本の内容が
スルスルと染みこむように
入っていくのが分かったのです。
その時くらいから
マリアナ海溝とエベレストの頂上を
行き来していた感情の波が穏やかになり
そして
今
やっと
浜辺に辿り着いた感じがします。
静かで
穏やかなそこに...
至福が在りました。
そこに来て
やっと
私は
息が吸えている感じがします。
だから
分かるんです。
スピリチュアルで
「簡単に幸せになる」
「1日セミナーで開運」
「すぐにお金持ちになる」
「このワークをするだけで」
そんなこと
絶対に無いことを。
だって
私自身がやってみて
そうじゃなかったから。
仮に
セミナーに参加して
“幸せ”と思ったのもつかの間で
結局
雰囲気に飲まれて
“幸せのように錯覚していただけ”
でした。
“心身の神癒”の1文に
こんなくだりがあります。
【自我の中にこそ
全ての苦悩の原因がある】
だから
私は
自分自身の思考のクセを
見つめたのです。
何か事が起こると
瞬間的に反応するその思考が
偽我でした。
偽我は
相当に強く
私は
何度も何度も
潰れそうになりました。
潰れそうになりましたが、
だけど
偽我に負けたら
苦しみ悩みもがきあがくことが
永遠に繰り返されることも
分かっていました。
生まれ変わっても
何度でも。
だから、
私は
逃げなかったんです。
そして
何か事が起こるとき
その思考の在り方を
“神様ならどう思うのか”に
切り替えて
実践し続けました。
やがて
意識の変化を
心が感じ始めました。
“心は
意識に追随(後から追いつく)すること”を
初めて知りました。
意識を常に
“神様ならどうするのか”に置き
それを
実践し続けた結果、
周りの現象に
マリアナ海溝より深く沈んだり
エベレストの山頂より高く上ったり
揺さぶられ無くなって
初めて
この世界にある
法則に納得したのです。
神の法則
愛の法則
慈悲の法則
原因と結果の法則を...。
そして
法則に沿った生き方をする...
やっと
私は
生まれてきた意味を
知りました。
それが
“至福”だったのです。
それを
今度は
人に拡げるために
今
私は
生かされています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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