これまで生きてきて


私は


言葉ほど


他者に影響を与えるモノは無い、と


思っています。


特に


ダイレクトに


個人的に


放たれた言葉は


より一層


パワーを感じます。






母は


私が小さかった頃から


歯に衣着せないタチで


官舎に住んでいた


友人の母親に


「Iさんってビア樽ね」

(確かにIさんはふくよかな方ではあったけど)


と言ってしまい


Iさんが激怒したことを


小1の私に


話してくれたこと...。


いまだに記憶に残っているモノの


あれから


何十年経っても


母の口から出てくる言葉は


ストレート...。



そんな母の元に育ち、


特別支援学校の教師として勤務し、


様々な障がいにより


言葉を発することが難しかった


子ども達から


言葉がどれだけ大切か


言葉をいかに使うべきなのか、を


学んでいきました。





そんな私が


他者からよく言われたこと。





「正直に話すけど...」





その前置きのある言葉の後に続く内容は


聞いていて


ほとんど


心地よくは無い


嬉しくも無い言葉だったのです。




そして


大抵は


「だけど、今は


 そうは思っていないから...」


で話は終わるのです。




例えば


「あなたのこと


 嫌いだったけど


 今は


 そんなことないよ」



こんな感じです...。



それに対して


反論したことは


1度もありません。




ただ...


「正直に話すけど...」の


言葉を


誤用していないか、と


思うのです。




正...正しく


直...まっすぐに





“正直”とは


正しくまっすぐに。





何について


正しくまっすぐに、


なのでしょうか??





それは


神様や


愛の法則や


慈悲の法則と言われるものに沿って


正しくまっすぐに...


言葉を発する、


ということでは


ないでしょうか。





私が


これまで聞いてきた


「正直に話すけど...」は


その人個人の


内側のネガティブな想いが蓄積し


その苦しみに耐えかねて


どうにかして楽になりたくて


ネガティブな想いを抱いてしまった対象者から


“許しを請いたくて”


「正直に話すけど...」と


言葉を発しているように



感じます。



しかし


「正直に話すけど...」と言っても


それを聞かされる側の人の


理解度や許容力や意識の段階は


人様々で


その言葉によって


聞かされる側の人が


苦しんだり


悲しんだりするならば...





結局は


言葉を放った人自身の元に


また


同じような状況がやって来る...


繰り返し


繰り返し


何度でも。


それに


気付くまで...。






正直に話すけど...


それは


正しくまっすぐに放たれる言葉であり、



それは


話をする人自身が幸せであり


また


聞いた人をも幸せにするという...


そんなメッセージが


私の内側から


沸いてきました。




本当に


その通りだと


思います。





その時


ふと


夫が


思い浮かびました。


結婚して


17年間の間に


夫から


「正直に話すけど...」


という言葉を


1度も聞いたことが


ありません。



言いたいことは


山ほどあったでしょうに...




でも


思ったことを


そのまんまに


私に伝えたら


私には


受け止めきれないと


判断して


あえて


何も言わなかったのは


賢者の知恵のように


思います。




放った言葉のエネルギーで


自らが


1番影響を受けていく...



そんなシンプルな法則を知るだけで


そんなシンプルな法則を実践するだけで


生きることは


こんなにも


美しく


素晴らしく


輝いていくことを


私は


体験しながら


学んでいます。





熊本県合志市野々島


なぎの木整体


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