2年ぶりに


高校時代の友人に逢い、


友人の実家に泊まりました。



友人のご両親とは


20年ぶりの再会になりましたが、


月日が経ったのを


感じないくらい


快く迎えて下さいました。






とても幸せで


全てを 委ねて


時を過ごすと...


私は


いつの間にか


布団で


眠りに落ちていました。




友人より先に眠りについた私。





どれくらい寝たのか


分からないけど


ふっと


私の手が温かな手で


包まれました。





その瞬間に


意識が醒めました。








友人が


私の手を


握ってくれたのです。





その時


思い出しました。






2年前


生きるか死ぬかの瀬戸際に


友人が


私の元にやって来てくれたあのときも


友人は


静かに


私の手を握ってくれたことを。


その手が


温かったこと、


その手が


優しかったこと、


その手が


愛充ちていたことを。





45才を過ぎて


小さな我が子と


手を繋ぐことはあっても


夫とさえも


手を繋ぐことも


ほとんど無くなった私が


同性の友人と


手を繋ぐなんて


まず


あり得なかったこと。





だけど


友人の温かな手から


感じたのは


この手のぬくもりが


神の手だということでした。


この神の手が


私に


生きる意味を実感させてくれたのです。


この神の手こそが


“ヒーリング”だったんです。






2年前


あのとき


「何もできないけど...」


そう言った友人の言葉こそが


私を癒してくれていたこと。




“何か特別な方法”で


私の悩み苦しみを取り払ってくれる


魔法のような何かを謳うものこそが


実は


ニセモノであることを


教えてくれたのは


高校時代の友人との出来事からでした。




神の手は


愛の手。




見返りを求めることのない


その手は


人を優しさで包み


時には


文字を記し


時には


料理を以て喜びを与え


時には


必要なものを創造する...



無限を創り出すその手こそが


神の手だったんです。






私たちの手は



神の手になれるのですね。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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