昔から


スピリチュアルに惹かれていた私は


例えば


意中の異性を射止める方法


簡単に幸せになる方法


これさえあれば願いが叶う


見るだけで想いが実現


聞くだけで人間関係改善する


読むだけでお金が集まる本


本当の自分を創造するワーク...





数え切れないほど


やってきていたんですね。





なぜでしょう。






それは


“楽にできる”


“すぐ叶う”


“簡単にできる”




そんな表現を


鵜呑みにしていたからでした。



さらに


そんな表現を


見分けるだけの


意識レベルではなく、


ホンモノとニセモノとの


区別が付けられなかったのでした。










ところが、






わずか


7歳の子どもの方が


遙かに


理解していました。





“何がホンモノであるのか”を...。







1日1日


毎日の努力の積み重ねが


自分の想いを形にしてくれること。




“楽に”


“簡単に”


“すぐに”


そんな所に


本当の幸せは無いことを...。











娘は


雲梯に夢中なのですが、

最後に至るまで

何度も何度もトライし

諦めないのです。

しかも

手には

何回も何回もマメを作りながら

そして

やっと

最後まで渡り終えた時

最幸の笑顔を見せてくれました。






長男に関しては


C言語という

プログラミングに必要な学習を

授業で

まだ習っていないにも関わらず

独学で始めました。




ロボコン部の先輩に

“どうしたら

C言語が確実に

習得できるのか”を

訊ねたら、

即答で

「毎日毎日の

 積み重ねの

 練習をやるしかない」と言われたと

言います。






そうなんです...。





地道に

ひたすら

努力を続けていく...






こんな“当たり前”のことが

なぜ

分からなかったのか...と

自分自身を振り返るとき、




欲にまみれて

気付けなかったことが

ハッキリと

見えてきました。





1dayセミナーなど

何回参加したか分かりませんが、

行っているその時や

行った後しばらくは

気分が向上し

「あ~、言って良かった。」と

感じていましたが、

それが

長く留まることは

ありませんでした。





意識の変性が成されるには

毎日の地道な努力や

続けていく強い意志と忍耐が

必要なんです。




そして

意識の変化に応じて

確かに

生き方そのものまでもが変わり

そして

“幸せ”は

“特別などこか”ではなく

“今居るここ”の足元に

ちゃんとあったのでした。



わざわざ

スピリチュアルの聖地のセドナにまで

行かなくても

ちゃんとここにあったのです。





だけど...

セドナに行ったからこそ

気付けたのも

また事実でした。




わざわざ

海外のスピリチュアルの聖地に行かなくても

自分自身の日々の想いの在り方や

言葉の使い方や

行いの美しさによって

周りとの調和が生まれ

幸せが創造されることを。

欲を消せば消すほどに

豊かになっていくことを。




苦しかったのは

“欲”があったからでした。





幸せは

自分自身の意識の段階に合わせて

現れるのです。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE