夫は
結婚した時から
私に言っていた言葉
「俺、友達1人もいない」
“友達”
小さい頃から
引っ越しばかりだった私は
“友達”を作ることが
勉強より何より
一番大切なことで、
ひとりぼっちでいることは、
いじめ以上に
辛く感じるものでもありました。
だから、
必死でした。
明るく
楽しく
そんな雰囲気を作り
私は
気付けば
周りに人がいる...
そんな小中高大学時代を
過ごしたのです。
が、
人生どん底にあったとき
私に
“友達”という人は
誰1人いなかったのです。
胸の内の苦しみは
到底文字にはできず
何のために
生きているのか
生きることそのものが“苦”以外の
ナニモノでも無かったとき
私は全てを無くしました。
その時も
夫は言いました。
「俺も友達1人もいないよ。」
それから
月日が流れ
今になり
私が
“友達がいる、友達1人もいない”
そう思っていたのは
“友達とはこうあるべき”という
思い込みや囚われ...
つまり
観念概念というものがあって
その観念概念が
私を苦しめていたのでした。
友達なら
何でも話したことに対して
共感するもの、
こちらの思いに
全て応えてくれるもの、
いつだって
連絡し合うもの、
友達ならば...
そんな思いが“友達”ならば
それって
自分の欲を充たすための“道具”では?
言葉は
良くない...
良くないけど
“友達”とは
本来は
そんな我欲を充たすために
存在するのでは無く
“友達”とは
〇〇するものと
形が決められるものでもなく、
“友達”とは
いつも傍にいるから
友達というものでもなく
“友達”とは
形にはめることもできない、
だけど
時に
我欲を犠牲にしても
相手に対して
想いを尽くすことではないかと
思ったときに
ふと思い浮かんだのは
【走れメロス】というストーリー
でした。
この主人公と“友達”の中にある信頼感こそ
“友達”ではないのか、と
今
思っています。
“友達がいる、いない”より
むしろ
自分自身はどんな人間なんだろうか、と
磨き上げることの方が
はるかに
自分と周りの人を
幸せにしていくように
感じています。
