9月になって
冬野菜の種を
薪始めました。
まずは、
白菜とキャベツ。
ごま粒くらいの種を
1つ1つ
指先でつまみながら
育苗ポットにまくとき、
“大きくなれ”
“元気であれ”と
想いを託します。
キャベツがキャベツであるように、
白菜が白菜であるように、と
ただただ種をまく...。
その時
全てを創った創造の源は
こんな想いで
私達を
地球へと
送り出しているんだろうな、と
ふと感じました。
そこにあるのは
深い深い想いだけ...。
なのに
人間は
成長するにつれて
いろんな価値観や
いろんな観念を身に付けて
それが
苦しみや悩みや迷いの原因になって
そこから
解決する糸口を求めて
もがきあがいて様々な体験を
経験していく...。
その中で
時には
根腐れを起こして枯れたり
栄養の取り過ぎで腐ったり
雨や風で倒れたりもするけれど
それでも
最後の最後に実った実の
なんて美しいことでしょう。
なんて光り輝いていることでしょう。
その時
種をまいた主である者は
ただただ喜び
実った実を
優しく手で包み
抱きしめます。
“よく耐え、努力し、実ったね”と。
そんな風に
私達を創った創造の源も
私たち人間という種をまき、
今
まさに
深い深い想いを以て
私達を育てていて
素晴らしい、美しい実になるように...
光り輝くように、と
それだけを想っているんだろうな、と
感じています。
すると
一緒に畑をしているYちゃんが
「MOEさんは、
きっと
そんな風に想える
内側の心の準備ができていたから
今、
畑ができるんですね。」と
言われました。
確かに
1年前の私なら
太陽の光の暑さ、
水運びの重たさ、
数え切れないほどの虫による害、
雑草の草取りによる皮膚の痒みに
すぐに止めていたでしょう。
だけど
畑を続けるからこそ、
みえてくるもの
感じ得るものがあって
それは
体験をした人にしか分からなくて
それは
文字には到底表せないもの...。
でも
今
私が確信しているのは
野菜を作る人は
これから
爆発的に増えて行くであろう、と言うこと。
これからは
農業の時代であること。
それは
単に
食糧確保というよりは...
むしろ
自分自身を見つめる
学びの場としての意味合いが
強いようにも思います。
愛するとき
私は
幸せの意味を
知りました。
愛するとは
見返りを求めるものではないことを
教えて貰いました。
命とは
無限の可能性と美しさがあることを
教えて貰いました。
その畑に
子どもたちが
虫取りや花摘みや泥団子作りで
やって来るとき
“ここは まさに天国だ”と
感じるのです。
幸せは
こんなにも足元に
ちゃんとありました。
ただ
気付くか、気付けないか、
それだけ...
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE