2回目コロナになったとき
私は
目を開けたまま
呼吸が止まり
心臓も動いていなかったそうです。
私は
私の特徴として
お腹の痛みに来るらしく
その痛みを
神に委ねました。
「神様。神様。神様。」
ただ
それだけに意識を向けて
ひたすら
神様。神様。神様。を想ったときに
足元から
強いエネルギーが上昇し、
やがて
私は
ただ
光の中にいました。
そこは
痛みも暑さも
何も無いところでした。
私が
意識を取り戻した時
まさに
そのとき
私は
息を吸っていました。
息を吸った瞬間に
意識が
この肉体に
戻っていました。
なぜ
呼吸が止まり
心臓も止まっていたことを
私が
知っているのか...
その間、
私の傍に
夫が居たからです。
その体験をしたときに
この一呼吸が
神様からの贈り物なんだ、と
実感しました。
再び
肉体に戻ってこれたのも
まだ
やることがある証。
神様なら
いとも簡単に
肉体に命を宿したり
逆に
肉体から命を脱がせたり
することでしょう。
意識が
光の中にあったとき
人は
生きていた意識状態のまま
存在するんだ、と
思いました。
肉体を脱いで
“死んだら終わり”じゃなかったのです。
だから
肉体が在るうちに
愛の法則・慈悲の法則を知り
神様の愛を表現することで
幸せを拡げていく...
これを
実践するために
肉体が与えられたのだ、と
私は
解釈しています。
何も
特別なことをするわけではなく、
目の前の足元に与えられた役割を
想いを込めて
やり続けていくこと。
それを
私に教えてくれているのは
目の前に居る夫でした。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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