ふと
思ったのです。
ワクチンの必要性を
言うけれど...
なぜ
そんなことを
するんだろうって。
すると
人は“生きたい”から
生きるために
ワクチンを打って
“生きるための安心を得たい”欲求を
満たしていることが
見えてきました。
「生きたい」
じゃあ
何のために生きるの?
ただ
食べるため?
ただ
働くため?
ただ
友達と愉しむため?
ただ
楽しみを味わうため?
私は
それらを
やりました。
楽しみを味わうための
コンサート
旅行
温泉
様々な芸術的活動...
確かに
“楽しい”です、その時は。
だけど
虚しさが消えませんでした。
私は
生きる目的
生まれてきた意味を
ただ
知りたかった。
私は“私を”知りたかった...。
そのために
今
真剣に
自分自身を見つめ
想いを正し
言葉を正し
行いを正し
明想を続けていく中で
やっと
分かってきたこと。
あれだけ
「消えてしまいたい」
「生まれてきた意味が分からない」
泣きながら
そう言っていた私が...
「私が“私を完全に知る”までは
神様
どうか
肉体を脱がせないで下さい。」と
切に祈るのです。
“心身の神癒”という本には
こうあります。
神は愛です。
愛は神です。
人間とは
愛が肉体をまとって
表現された神で在る。
それを
実感して
表現するために
今
生かされているなら、
1秒だって
無駄にはしたく在りません。
しかし
私は
肉体には
執着しません。
必要として
神様が
肉体を脱がすならば
私は
それを
受け入れるでしょう。
そうであるならば、
ワクチンについて
私は
そう必要を感じません。
そこに
恐れがないからです。
恐れは
正しい判断を
失わせます。
だから...
情報の洪水から離れて
心静かに
今
ここに
意識を集中する...。
そこに
必ず
花が咲くと
私は
信じています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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