かなり前


“引き寄せの法則”というものが


はやったとき...



私も


かなり熱を入れて


実践しました。



ビジョン・ボードという


未来にどうありたいか、の写真を


ボードいっぱいに貼ったり、


文字にして表記したり


散々やり尽くしました。






ところが


当時から


夫の態度は


冷ややかなものでした。




私が


「ビジョンボードやった方が良いよ」


と言っても


「俺は、やらない」


の一点張りでした。







「何か違うんだよな」





それが


夫の直感だったのです。





月日が流れ


様々な体験を経て


今に至り


私も


思います。






“何か”違うんだよね。





“何か”とは


何なのでしょう...。




これについて


夫と話をしたことは


ありませんが、




今の私の解釈は


“己(偽我)の欲望を


満たそうとする


【引き寄せの法則】の


全て全てが仮に現実になるならば、


この地球は


世界中が


争いの絶えない


現実となっているはず...”






「お金が欲しい」


そう望む方がいました。


今日


食べるものに満たされ


仕事もあるにも関わらず


「お金が欲しい」と


連呼されていました。






子ども達でさえ


何かの基準として


「で、それは幾らなの?」と


よく言葉にしますが...







それくらい


お金は


人の心の巣窟になってしまったのでしょうが







お金が仮にあったら


“幸せ”なのでしょうか。






そうではないからこそ、


有名人の様々な方々が


自死しているのを


私達は


既に


目にし


耳にしているはずです。








何も引き寄せる必要なんて無い...






既に


全てが


満ち満たされた今であり


ここで


他者(己意外)のために


どれだけ


尽くしていけるか...


その想いが


どこにあるのかが


ちゃんと整っていたら


想いの通りに


美しいものが


あることに気付く...


ただ


それだけでした。







確かに


この世界には


“法則”がありました。



しかし


それは


我欲を満たす“引き寄せの法則”ではなく、


全ての全てが幸せであるための


“愛の法則”でした。






その愛の法則から


想いがズレ


言葉がズレ


行いがズレていたから


悩みや苦しみが


現れていただけで


それは


全ての全てが


自分自身に原因がありました。





それは


私自身の中にあった


欲であり


楽をしたいという


想いそのものだったのです。





散々


様々なニセモノに出逢い


痛い思いをし


「よう生きているな」と


思ったことが


何度もありましたが、


だからこそ


ホンモノに出逢ったとき


ニセモノが現れても


“何か違う”と


気付けるようになりました。




“何か違うんだよな”


夫は


既に


ニセモノを見抜き


ホンモノの世界(愛の法則)を


生きていたことを


今更ながらに


感じます。





ホンモノが解るには


ホンモノの目が


必要だったのですね。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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